So-net無料ブログ作成
検索選択

リバプールから届いたもの

そろそろ到着の時期かな、と
楽しみにしていた郵便物が先日届きました。
リバプールのSさんからのものです。

from-Simon3-20161104.jpg

開けて見ると
20種類を超えるパンフレット、リーフレットの数々。
ずっしり重く2kg近くもあります。

from-Simon1-20161104.jpg

これは12月に
都内の公共施設で20人ほどのお話し会に招かれたので、
その時ご参加のお客様に見ていただくため資料になります。

「小さなイベントだが、
これを機会にリバプールとナショナルトラストのPRもしたい・・・」。
そうメールで送ったところ、すぐに返事があり
快く引き受けて下さいました。

Simonさんからのメモ.jpg

Sさんにパンフレットが確かに届いたことを知らせるため
連れに袋と封筒を手に持った私を撮ってもらい
感謝のメールに添付しました。
後ろの額は、彼の奥さんの刺繍作品。季節感あふれるいい作品です。

I-LOVE-LIVERPOOL-1-20161105.jpg

最初にお目にかかったのは
2004年の春、
リバプールの超有名な観光スポット・キャヴァーンクラブでした。

特別展企画要請で、
リバプール観光局との打ち合わせは、なんと昼間!のキャヴァーン。
そこに関係する人たちが集まり、
こちらの企画意図をプレゼンしました(もちろん通訳付で)。
そこでNational TrustのSさんと初めて知り合いました。

キャバーン前で 2003.jpg

彼が仕事で日本に来たとき、
2人で京都日帰り旅。
新幹線も車窓からの富士山も、もちろん京都も
私と彼にとっては忘れられない思い出になりました
(1日中、英語のヒアリングとトーキングの勉強みたいでした)。

彼はここだけは必ず訪れたい、
というところを知らせてくれましたので、効率よく回りました。

リバプールは
彼を通じて私にとってのすきな街になりましたね。
彼とのお付き合いも12年続いています。

LiverpoolRiverside.jpg

いつか「リバプールに恋して」、
なんていうシリーズでもアップしたいですね。



nice!(5)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

さらば BOSE LS-18

連れと一緒にNHKBS「団塊スタイル」で
「誰にでも訪れる”死”どう考える」をみた影響からかも知れません。
我が家の課題であった大物家電の整理にようやく着手。
そのひとつが、足かけ12年も使い込んだ
DVDホームシアターシステム、BOSEのLS-18 の処分でした。

毎日聴いたり観たりしてきたわけではありませんが、
BOSE特有の何とも言えぬ広がり感は、
音響についての門外漢、素人の私にとっても魅力的でした。

しかし読み込み、接触不良(自損)など
加齢?(経年劣化)により
耳を澄ますとやや異音が感じ取れるようになってきまして
連れには不評でした。
テレビの音もDVD,CDもこのBOSE経由でした。
2回ほど修理に出すなどの病歴?もあり、さてどうするか・・・。

この数ヶ月、本機をどう扱うか悩みましたが、
修理に出すにしても全体で22.5kgもの超重量ゆえ、そのままにしておりました。

しかし、冒頭の番組をみた影響でしょう、
昨日ようやく処分することにしてネットで来宅引取の業者さんを探し、
今日来ていただきました。

これは前夜片付けはじめたLS-18 。
プレーヤーの後ろに9mものコードが山のようになっています。
超特大のウーハーは、
これまでこうして起こさず、横に寝かせ使っておりました。

Bose20161104.jpg
BOSE-3-20161104.jpg

業者さんが引き取りに来て
ソファの後ろまで伸ばしたリア用のコードも外し、
すべて取り外して持ち帰られました。

私と連れはトラックが見えなくなるまで見送り、
ほんのさっきまでその存在感を見せていた空間を振り返りました。

BOSE2-20161105.jpg

まだ耳の奥にあのウーハー音が聞こえてくるような感じです。

薄っぺらなテレビ音?にはどうしても馴染めず、
「せめて2.1chのサウンド・バーなどあったらいいなぁ~」、と
連れの前でひとりごとを申している私であります。

もうぜいたくは言えない状況ではありますが・・・・。




nice!(5)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

最近読んだ本

1ヶ月も間を開けてしまいました。
それに堪えられなくて、最近読んだ本の画像のみアップ。
ちょっと身辺落ち着いてきましたら
本についてのコメントなど少々書き込むつもりです。

歳のせいかこんな本の数々。
20161013読んだ本3.jpg

20161013読んだ本4.jpg

江戸時代の築城や
土木工事にずっと関心を持ち続けているので、こんな本も加わりました。

20161013読んだ本2.jpg

20161013読んだ本1.jpg

徳川家康が関東に移封される直前から
江戸の都市計画をはじめていたなどという話は
元ゼネコンOBとしては、手に取るように?理解できます。
街の要は上水と下水、そして道路・・・。
400年以上も前のことですが、
今どきの某計画のような縦割りにしない情報共有と意志決定がすご~い!

新聞やテレビに報道されているような
信じられない話(計画)は、「血税」という感覚欠如からなのでしょう。

天を仰いで家康殿の御裁可をいただきたい気分。

また、大名の資格要件は1万石以上なのに、
喜連川藩は
5千石でも大名で江戸城中にあっては大大名より上席であったわけなど、
昨今の古文書を読み解く学問の進化は、いろいろなことを教えてくれます。
実におもしろい!

今日はここまで。

申し訳ございません。


nice!(9)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

私は なにを 残せるか・・・

この夏に
姉の不幸があったからではありませんが、
最近「私は なにを 残せるか?」をよく考えるようになりました。

先月、
月に一回通う内科(糖尿病)クリニックで
追加の心肺機能の検査を受け若干不調があったのですが、
先生から「造影冠動脈CT」の受診指示を受けたことも原因のひとつ。

また、つい最近
「生前整理」を行った高齢者を紹介する番組を観ました。
入居先の施設は狭い一部屋ゆえ、
愛着のあるものも運び込むことが出来ない様子が紹介されていました。

これは他人事ではありません。

特に落ち込んではいませんが、
いま暮らしているこの状態の中で
「私は なにを 残せるか・・・・」を考えて始めています。

言い替えれば、残った家族や孫達は、
私についてなにを覚えていてくれるだろうか・・・ということ。
私は4歳で父が逝ったので、まったく記憶にありませんし・・・。

例えば
写真のように30数冊たまったこれらの手帳。
私でさえよく読めない、思い出せないところがたくさんありますし、
苦い思い出も蘇る出来事も書いてはあるものの、
果たしてだれかがこれを手にするか?読むか?

手帳38冊20160924.jpg

恐らく だれもいないでしょう・・・・。
いつかは処分されます(一般ゴミに出さないで!)。

現役時代広報部で
景気のいい頃には有力地方紙にも広告を掲載していたこともあり、
また、海外工事も多く
その取材や映像制作、ゴルフ、飲み会も多かったですね。
手帳を読み直すと相手の顔とその頃の思い出が蘇ってきます。

この手帳がすべてだとは思いませんが
私が生きていたひとつの「証」であることは確か。

でも、
連れやこども達など残されたものは取扱に困ってしまいますね。

撮った画像や映像は
時折デジタルのアルバムにまとめていました。
時には音楽も入れて・・・。
下のものは、その中のほんの数枚です。

デジタル記録7大.jpgデジタル記録2.jpgデジタル記録3.jpgデジタル記録4.jpgデジタル記録5.jpgデジタル記録6.jpg

なにやかにやと
いまや100枚以上になっているCDやDVDアルバムをどうする?

私の子どもの頃からの趣味の「戦車」。
もちろん、6年前に行った英国「戦車博物館」への一人旅の映像・画像はありますし、
いつのまにかため込んだたくさんの戦車本の存在も・・・・。

デジタル記録tank1.jpgデジタル記録tank2.jpgデジタル記録tank3.jpg

ジョンやビートルズの
CDやDVDもだいぶたまっているし・・・、なんとかせねば。

いくら何でも自分でいまから
不要品として処分するのは、あまりにもかわいそう~・・・。

健康年齢でいる間、残すか残さないかを判断し、
これが「私の人生」だったと言えるものに集約して、
触れられるもの、読めるもの、観られるものにいたしましょう。

デジタル記録がすべてではなく、
ほんの少し五感に蘇るものを考えようと思いますと、
そう考えると何だか張り合いも出てきて、元気に暮らせそうです。

ジジはこういう人だったんだ・・と
孫たちに伝えられたら、うれしいですね。

ああ、忘れていました。
連れとの暮らしぶり(行事・旅行)なども残しましょう。
40年以上一緒に生きてきたんですから、とっておきの1枚?にいたします。
プリントのアルバムも残さないと、
高齢者(連れ)にパソコンを立ち上げさせ、キーボードはちょっと、ですものね。

もうひとつ忘れていました。このブログの存在です。
デジタル遺産というのは簡単ですが、いつか落としどころも考えねば・・・・。

連れの心配よりは、
私自身の脳の衰えも考慮せねばなりません。
まだまだやることはいっぱいあるから、
せめて75歳までは元気でいなければ・・・と思っております。



nice!(7)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

年配者でいっぱいの映画

久しぶりに
連れと一緒に近くのシネコンへ行きました。

この日は台風の影響で大雨。
ショッピングセンター併設の地上の駐車場は満杯で、
屋上の駐車場へ行くのに30分もかかりました。
その上、
傾斜通路途中でのブレーキ、アクセル、ハンドブレーキの連続。
半世紀以上前に通った教習所の方がずっと楽でしたね。

なんと午後の部は、年配者でいっぱいです(私たちも含め)。
ここができて8年近くになりますが、
こんなに観客がいるのは初めてだと連れと話をしました。

映画のタイトルは、
「超高速!参勤交代リーターンズ」。
前作も観ましたし、
私は単行本も読みましたので、広告が気になっていました。

超高速リターン1.jpg
超高速リターン2.jpg

小説は読んだ後に
映画前作「超高速!参勤交代」も連れと観ましたが、
今回の「リーターンズ」ほどお客さんは多くありませんでした。

なのに今回はなぜ?

前回の作品を新聞や雑誌で採り上げ、
TV内で番宣のような番組も多かったせいでしょうか?

で、はたと気がつきました。
私たちが観に行ったその日は「敬老の日」の午後。
いつもシネコンに行くのは
平日の午前9時過ぎの初回のときばかりです。

この日は朝になってから急に連れが、
「行こうか?」と言うので、
いつもの通り、「かしこまりました」(?)と返事。

年配の観客が多いのは「敬老の日」だったからでしょう。
それに、この映画は
ストーリーが「勧善懲悪」の流れです。

つまり、
むかしの東映映画、悪と正義の黒白がはっきりしていること。
とてもわかりやすいし、やや過剰?な殺陣(斬り合い)もある・・・・。
笑いを取るシーンも多いので、上映中にたくさんの笑い声。

映画鑑賞中に、
観客のごくごく自然な大きな笑い声を聞いたのは初めてでしたね。

昨今の映画やテレビドラマは、
登場人物の心理的描写や過去に戻るシーンと
現在との行きつ戻りつが多いので、私の脳の処理がついていけないのです。

ゆえにこの映画は、大変わかりやすい。

日頃は己の肉体的な経年劣化を直視せず、
なるべく衰えを考えないようにしてきたものの、
やっぱり?観客と一緒に笑ってしまった私がおりました。

終了後、
お茶でもと考えたのですが休日ゆえどこも満席。
では、と車で20分の自宅に直ぐに帰り、
インスタントコーヒーで「Tea for two」。

連れの感想
「ちょっと内容にムリがあるわね。
何だか斬り合いだけがてんこ盛りで、妙にリアルで・・・。
大名行列って石高に関係なく格式があるんでしょう?」

観ながら「これはないわな・・・」と思ったのですが、
たまにはこういうドタバタ映画?も私はおもしろいと思いました。

江戸時代、大名と称されるのは1万石以上と理解していました。
これも1万石から加賀百万石(内容はずいぶん違うけど)まであり、
ほとんど裕福なところはなかったことは知っていました。
ゆえにお金の工面のところは、よくわかりました。

私の田舎、越後高田藩の参勤交代については
2年前、前作を観た感想の時に2本アップしています。
お時間があればご笑覧いただければ幸いです。

「超高速!参勤交代」 越後高田藩の場合 その1
http://chizunoko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-22

「超高速!参勤交代」 越後高田藩の場合 その2
http://chizunoko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-22

今回の映画の舞台「湯長谷藩」のような
小藩の苦労話は、またいつかまとめたいと考えています。




nice!(4)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

入院雑感 その5 病気と健康

腕のID.jpg
↑入院時、案内されたベッドで最初にIDバンド

もう入院・手術も3年間で3度目ゆえ、
それなりの覚悟のようなものを持って入りました。
入院前に、
内視鏡での手術ということを連れともども聞いていましたので
余り深刻に考えませんでした。

手術時間も
食道がんのときの半分以下、わずか2時間半でした。

しかし、つい先日、
連れともども先生から術後の病理検査の結果を聞いたとき、
一瞬凍てつきました。

「Mさん、
病理検査で切り取った部分を詳しく調べたところ、
これは前がん状態ではなく、
本当のガンであることがわかりました。
もう1ヶ月遅ければ、
さらに深く進んで、結構大変なことになるところです。
本当によかったですね。」

連れと顔を見合わせました。
思わず涙ぐんでしまいました。

1ヶ月半ほど前、
食道の術後観察で内視鏡検査を受けたとき、
「経過は順調で問題ありませんね。
食道やって、胃をやって、
残っているのは大腸だけですから、やってみますか?」
と先生に勧められました。

「そうですね。これさえ済めば消化器系たて系列は、安心ですね」

本当に軽いのり?で検査の日時を決めて受診しました。

そして言われたのが
大腸結腸部の「早期悪性腫瘍(前ガン)ではないか」。

これが前がんではなく、
真性?のガンだと生理検査の結果わかりました。

先生いわく
「大腸がんは、潜血が見られたら
かなり進んでいると思わなければなりません。
Mさんの場合は、食道から胃、大腸というように、
心配なところを早め早めに処置していったので、うまくいきました。

3年前、たまたまMさんが人間ドックに入られたとき
自分が内視鏡の担当であったことからこれは始まっています。
これは何かの縁でしょう。
私の専門が食道がんであったのも幸いしました。
これは本当に偶然の重なり合いです。

Mさんが、(ちゃぶ台返しで)
会社をお辞めになったからこそのドッグ入りですものね(笑)。」

人が病に罹るのは、計算されていることではありません。
もちろん血筋系もあるし、
日常生活の乱れ、酒、たばこが遠因のこともあります。
そのほかの大きな要素にストレスもあります。

人間のシステムは実にうまく出来ていて
何か異常が起こると、必ず警報を出してくれます。

問題は、自覚症状を
いつ、どこで、どう感じ取れるか、でしょう。
具合が悪くなってから、では時には遅いこともあります。

私のように臆病者にとっては、大ごとになるのがとても恐い・・・。
だから、先生の提案は、すぐに受け入れてしまいます。
でも、鵜呑みにはしません。
事前事後に結構真剣かつ一生懸命情報を集め、
先生のいうことが、素人なりにもわかるように努めます。

病院に入院すると、
まわりはみんな当たり前ですが、病人です。
4人部屋なら、4人とも病名も症状も違いますし、生活も違う。
私の今回のように、
比較的軽度な患者もいれば、重篤な患者さんもおられる。

フツーである、まぁ健康であることのなんと大切なこと!

病理検査の結果を聞くため
消化器系内科の待合室で待っていますと、
夫婦連の方、
いままさに現役でバリバリとお見受けする方など
さまざまです。

それぞれの患者さんには
その数だけいろいろ事情があり、ドラマがあるはずです。

その重みを感じながら
これからも残った日々を大事に過ごしたいと思います。

(完)




nice!(6)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

入院雑感 その4 重湯のありがたさ

今回も内視鏡による手術ゆえ、
術前には消化器系はすべてキレイになっているのが条件。
前日も昼、夕とも軽めのものでした。

手術当日は「その1」にも書いたように
壮絶なる下剤との一騎打ち?があったんですが、
そのあとは、丸二日半は点滴のみ。

お腹はすいているはずなのにそう空腹感がありません。
オシッコにも回数は少なくても何回か行きます。
その理由は、1日中続く点滴のせい・・・。

でもさすがに2日目を過ぎると何か欲しい・・・。

動くと空腹を感じるので、ベットでじっとしているのですが、
ようやく待望の「食事」が出ました。

重湯.jpg

重湯の内訳-20160825.jpg

重湯200gです。

もちろん味はありませんが、なんと美味しかったことか・・・・。
具なしの汁もの(すまし汁、パンプキンポタージュ)もじっくり味わいました。
ちょっと驚いたのは、ヨーグルトと豆乳が付いたこと。
これも美味しくいただきました。
これで総カロリーは、375カロリー。

驚異の遅さ?で、食べ始めて20分。
出されたものは、すべて完食しました。

日ごとに
重湯→三分粥→五分粥→七分粥へと進化していきます。
ありがたいことだと思いました。

七部かゆ.jpg

手術の前日(本格的な?下剤開始前)に、
おやつがでました。

手術前日のおやつ.jpg

わずかでしたが、本当に美味しくいただきました。

(続く)









nice!(5)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

入院雑感 その3 入院便利ツール

これまでの
数少ない入院体験から予め用意したモノが3つあります。

ひとつは、
ベッドの柵にくくりつけたプラスティックのカゴ。
百均で買っておきました。
これをパソコン用コードを結束する細い針金で留めます。
あらかじめ
柵のおおまかな太さを想定し、必要な長さを切って持って行きました。

枕元の箱.jpg

この中に、
ラジオやスマホ、メガネ、腕時計を入れます。

ベッド脇のテレビが置いてある脇机は
そうゆとりはないし、しっかり手を伸ばさないと届きません。
このカゴをくくりつけたおかげで、
横になっていても簡単に取れ、大変便利になりました。

もうひとつは、3口コンセントと
スマホやモバイルルーター、ノートパソコンなどの
USB充電器(5ポート)です。

USB-5口電源.jpg

ベッドの脇下には
コンセントが設備としてありますが、2口あってもひとつはテレビ専用。
空いているのは残り1口だけとなります。
そこで家にあった余分なコンセント(3口)と
いつも使っている充電器を外して持ち込みました。

充電するのは夜間のみ。
昼間は点滴を提げながらの行動ゆえ、コードが絡むリスクを避けるためです。

3つめは、これ。

ホワイトボード.jpg

下剤の話の時にも書いた、小さなホワイトボード。
これも百均です。サインペンとクリーナーが付いています。

看護師さんの
検温、採血、血圧測定の時間はおおまかには決まっていますが、
私がいないとき(トイレ、デールーム、売店)に来られることもあります。
そこで、
ベッドを離れるときに、ひとことメモを書いておきました。

ある看護師さんに、
「Mさんは、入院慣れ?していますねぇ~」と笑われましたが・・・。

(続く)






nice!(8)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

入院雑感 その2 時間の流れ・・。

病院での1日の時間は
私にとってはとても長く感じました。

37年前の
「胆のう摘出」での入院は1ヶ月弱でした。
3年前の食道がんの時は10日、
2年半前の食道の時は4日、そして今回は10日間。

術後3日間は、
空腹感を我慢してひたすらベッドの横たわっているだけですので、
時の流れがゆっくりです。

病室のベッド.jpg
枕元の張り紙.jpg

見えるものは、
トイレに行く以外、天井と点滴だけです。

天井と点滴.jpg
点滴説明.jpg

点滴はとても大切なのですが、行動力と気力を減衰させますね。

仕方なしに
ベッドで横になっていますと、いろいろなことを考えてしまいます。

「さて、退院後も仕事を続けるか・・・」

「辞めるとなれば、私の色を希釈した研修の基本的なことをまとめねば・・・」

「あと、何年元気でいられるだろう・・・」

「体も頭も何とか動けるうち に、これまでを総括せねば・・・」

イヤフォンで聞くテレビは、つまらない。
ラジオも入らない局があるし、
持ち込んだ文庫本もそう長くは読めない。

ウトウトすることもならず、
先生の回診や体温・血圧・血糖値の定時の検査、
点滴を取り替えに来る看護師さんの呼びかけだけが生活にリズムをつくります。

そのストレスが頂点行きそうなとき、
たまたま病室から見えた日没直後の富士山のシルエット・・・・。
かなり長いことじっと見ていたら、心がおだやかに。

富士山.jpg

朝5時の目覚めから消灯の21時まで、なんと長い1日なのでしょう・・・。

(続く)


nice!(6)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

入院雑感 その1 キレイになるには、ひたすら努力・・・

この夏の終わり、
約10日間入院しておりまして、先日、無事退院できました。

病名は、
大腸結腸部の「早期悪性腫瘍(前ガン)」で
幸いにも紙一重で内側粘膜内にとどまりました。
この層を超えると、大ごとになったので助かりました。

今回の術法は、
「早期悪性腫瘍大腸粘膜下層剥離術」という漢字だらけのものですが
通常ESDという内視鏡での手術でしたので、10日間で済みました。
外科的手術(開腹など)だと1ヶ月かかりますので、
相対的に楽でした(と、いまは言えます)。

3年前の同じ日に「食道がん」の手術を受け、
同じ日に退院、
また先生も同じなので、何か因縁めいたものを感じます。

その病院での時間を何回かに分けてアップしたいと思います。


第1回は、
大腸の検査あるいは手術の前のお話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大腸内視鏡手術のために
避けて通れない、非常に大きなかつ念入りな「準備作業」があります。

知る人ぞ知る、そう、あの下剤服用です。

7月の検査のときは、
自宅で服用して病院に向かいましたが、
今回は本番?で入院2日目の朝6時半からスタートです。

20160823下剤1.jpg

大きな容器入りの下剤2リットル、水1リットル
計3リットルを、決められた時間毎に2時間以内に服用?いたします。

これが生ビールでしたら、楽々行けそうですが、
下剤となるとコップを手にしたときから腰が引けます。
どうしてこんなに飲みにくいものなのでしょうね。
もっと飲みたい~っ、
と思わせなくてもいいから、すっと入るモノ、後味に要工夫ですね。

でも、飲んで腸内を惚れ惚れするような美しさにするためには
どうしても必要な関所です。
心の中で、
「この~!、う~ん、アホ~!」と言いながら飲み干しました。

「こういうふうに飲んで下さい」、
と図入りのラミネートがセットになっていましたので、
そこに私は服用予定時刻をマーカーで手書き。
これは具体的な時間が書けて、我ながらグッドアイデアでした。

20160823下剤2.jpg

これは、
実際にトイレに駆け込んだ正確な時間。
持参した百均の小さなボードが役立ちました。
看護師さんへの
説明用にと思ったのですが、実際は彼女は私に結果だけ?を求めます。

下剤のはじまり3.jpg

この間、
3度ほど看護師さんに進行状態を検分?してもらいます。
これを結構ナースステーションに言いにくのが恥ずかしくて・・・。
最終的に、最終状態、美しい?透明色になったのを見てもらい、
OKをいただきました。

ベッドから歩行16歩のお手洗いに行くこと全19回。
この間、
ご経験のある方ならお分かり頂けますが、大変辛うございました・・・・。

(続く)




nice!(4)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

さて、病院へ。

明日から、
しばらく病院で過ごします。

一昨日、内視鏡担当のK先生より
術前に連れと私に説明する時間変更の電話がありましたので
やはり、これは現実のことなんですねぇ~。

3年前の夏の食道がんと同じに、
恵比寿の病院での生活が始まることになりました。

先月、大腸内視鏡の検査を受けたとき
3,4個のポリープはつまんで取ってもらいましたが、
広い範囲の扁平状前がん状態のは
入院して手術で、ということになりました。

たぶん私のは、
前の食道がんと同じステージⅠくらい(希望的観測か?)と考えています。
入院時期は、
奇しくも8月第3週、3年前とまったく同じで不思議な縁を感じます。

その年の12月には、
胃をやりましたので、これで3度目の入院ということになるわけです。

大腸がんの進行状態は、
専門家の区分によれば、このように図解されています。
私のはSM状態なのかな、と
勝手に思い込んでいるのですが、果たしてどうなんでしょうねぇ・・・?

大腸がん進行レベル2.jpg

今回のも含め
いずれも「内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)」というやりかた。
お腹に穴を開けたり、開腹という方法ではないので
体への負担は大きくないのですが、やはりどんな状態なのか心配です。

ESD.jpg
↑この図は、胃の場合ですが、食道・大腸も同様。

3回目ともなりますと
入院は慣れてはいるのですが、何かいろいろ考えてしまいそう・・・。

つい先日、
私の糖尿病管理のクリニックの看護師さんに
「Mさんは、70歳というお年の割?にお元気ですねぇ。
肌の色つやもいいし、お話しもお上手で、生活態度も前向きですね~。」と言われ、
ほんの少しいい気分に・・・。

それはそれでうれしいですが、
いずれも初期状態(内視鏡)であったとはいえ、
食道も胃も、そして今度は大腸と、
私のガンは続く、どこまで続く・・・・、であります。

それなりに、覚悟はしているものの、
そろそろマジに「人生の終(し)まい方」を考えなさいよ、
との啓示なのでしょうね、きっと。

それでは、行ってまいります。





nice!(5)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

孫たちとの夏休み

孫たちの夏休みもあとわずか。

今年も、娘と孫との夏休み企画が
連れ主導?で進行いたしまして、先日鬼怒川温泉方面にまいりました。

昨年の伊東への旅行があまりにも暑く、
今度は涼しいところへ、と話していたにも拘わらず、
やっぱり暑かった鬼怒川温泉でありました。

旅行の目玉は、「ワールド スクエア」です。
連れと7,8年前に行ったことがあり、大人でも十分楽しめた思い出があります。
ですから
4,7歳の孫たちなら、
結構面白がってくれるのでは、という期待がありました。

ホームページには
「世界の有名建築物102点。一日でめぐる世界一周の旅。」とあります。
以前にはなかった構造物もありました。

http://www.tobuws.co.jp/

ワールドスクエア スカイツリー遠景web.jpg

孫たちもこれが何かはよく知っていました。
ワールドスクエア スカイツリーweb.jpg

その前で連れに撮ってもらいました。
爺の幸せ、というのは、こういうシーンなのでしょうね。
ありがたいことです。

園内の写真をいくつか・・・。

ラクダ.jpg
バチカン.jpg

遮るものが何もない真夏の園内ゆえ、暑い!、暑い!
幾つもある休憩所には、ありがたいミストの設備。
私たちは頻繁に利用しました。

ミストのある休憩所.jpg

すごく感謝したのは、
この保冷剤で、本当に助かりました。

保冷剤.jpg

園内各所にたくさんクーラーボックスが置いてあって
決まり上は、お一人様一個ですが、
それがちょうど溶けかかる頃に、またボックスがあり、
首のまわり、額に押しつけ暑さをしのぎました。
これはなかなかのアイデアです。
帰り際に、係の方に感謝の気持ちを伝えました。

「どうしたら、お客様に喜んでいただけるか?」
まさに、そうお金を掛けないCustomer Satisfactionの実践ですね。

その日の夕食後のロビーでのくつろぎ。

ホテルで1.jpg

翌日は、
ホテルのフロントに子供が楽しめるところを聞いて
「花いちもんめ」という所に行きました。
想像以上に楽しめた(孫たちも喜んだ)場所でした。

http://www.nikko-hanaichimonme.jp/index.htm

花いちもんめ 1web.jpg
花いちもんめ ひよこ.jpg
花いちもんめ1.jpg

駅前からバスを待つあいだに、孫たちは足湯体験。

足湯.jpg

ここは「トリックアートミュージアム」。
http://trickart-pia.com/

子どもだまし?と、行く前はそう興味はなかったのですが、
大人も子どもも楽しめた不思議な場所でした。
下の写真は、孫たちの大きさが逆転するおもしろい空間です。

トリック 6-web.jpg
トリック 滝.jpg
トリック8.jpg

このミュージアムを楽しんだあと
鬼怒川温泉主催の
「小原沢魚つかみどり体験」へ参加しました。

連れと私は観ているだけでしたが
3人は、1時間で六匹ゲット。
追い回された魚さんも、夏バテ状態だったからでしょうね。

魚のつかみ取り.jpg

下の孫は
全身濡れてしまいましたので、私のシャツを羽織らせました。

魚のつかみ取り2.jpg

魚は、みんなで塩焼きにして(美味しかったです)。

魚取りのあと.jpg

こうして
孫たちとのイベント満載2泊3日の夏休みは終わりました。
写真もいっぱい撮ったけど、
大きくなっても、覚えていてくれるかなぁ・・・。

ジジとババは、それだけが気になります。




nice!(4)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

夏の終わりに また手術。

先月のある日、下部消化器官内視鏡検査を受けました。
いわゆる「大腸内視鏡検査」というやつです。

ちょうど3年前の夏、
ドッグで食道がんが見つかり、約2週間入院し手術を受けて以来、
これまで食道や胃のポリープなどを3度も切除してきました。

残るは大腸のみとなり、
なじみ?の息子と同い年の執刀医先生は、
「これが済めば、Mさんの消化器系たて系列のチェックは完了」、
と言われ、じゃ横系列は?、と考えたのですが、
まぁ、お腹の大部分は胃腸系ですから、これで正解か・・・。

ゆえに
気軽な気持ちでカメラを飲んだのですが・・・・。
先生の見立ては、果たして?

実はその前が大変で
下剤2リットルを2時間かけて飲まねばなりません。
検査の前には、完全に出し切りませんと、
電車に乗って病院へ向かう途中、もよおすと大事件となります。
停車駅のトイレの位置は、すべてネットで確認済み。

検査は13時からでしたので、下剤飲みは11時前には完了?の工程を組み、
朝6時半から飲み始め、9時には完了。

下剤1.jpg

なんとこの製品(下剤)は、
あの「味の素」のもので、イメージ的には、まずいものではないと・・・
(ネットで可能な限り、経験者の記述を探しました)。

下剤2.jpg

しかし、
それは私の勝手な思い込みでして、
二度と飲みたくない味(一口ではなく、2リットルを2時間かけて)でした。

それから、駆け込むこと13回(記録用紙あり)。
おかげさまで、
電車内での心配は、見事に回避できました。

お腹のイラストを探しました。
SN00008.png

大腸は、
盲腸、結腸、直腸に分かれ、長さは約1.5mだそうです。

さて、約2時間の内視鏡検査の結果は、
ポリープ3個切除、そしてメインは、前がん状態の平たく大きな部分が見つかりました。
これは検査時に切除できる状態ではなく(説明受けるたびにビビります)、
入院して、ちゃんと手術台に上がっての切除とか・・・・。

手術は、
この大腸内にある扁平上皮前がん部位を
3年前の食道がんと同じ
「内視鏡的粘膜下層剥離術」(ESD)という方法で取るのだそうです。

説明は頭では理解しているのですが、
心配性の私は、いろいろな事態を考えてしまい、ちょっとブルーな気分。

ああ、
2週間後の夏の終わりにまた入院する羽目になりました。

また(楽しく)準備を始めましょう~。










nice!(7)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

孫が歌う、井上陽水の「少年時代」

先日、孫たちが我が家にやってきたとき、
小学1年生の孫のTクンが学校で習った歌を歌ってくれました。

それが井上陽水の「少年時代」。
いやはやビックリしました。
思わず連れと顔を見合わせました。

Tクンは声が高いので、
音もずれずにそこそこ聴けます。

(YouTubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=yVHtEXiWYDU

「夏が過ぎ 風あざみ ♫
 誰のあこがれにさまよう
 青空に残された 私の心は夏模様・・・♫」

今どきの小学校では
こんなおとな?の曲も教えるんですね
(ビートルズの曲や
ジョン・レノンのIMAGINEも教科書載っているとか)。

確か発売は、
1990年頃で、ミリオンセラーにもなったかと。
我が家にはアルバムCDもあったはず、と探しましたが見つかりません。

本人の曲を聴いたことがないようなので
YouTubeで(懐かしく)聴き直し、
今度来たときにホンモノをYouTubeで見せようかと・・・・。

そういえば、
30歳前後、山奥のトンネル現場勤務をしていたとき、
家族とは別居していたものですから、
週末広島の社宅に帰るときには、車で片道2時間半かかりました。
その間、聞いていたのが陽水のカセットテープ。

いまも鮮明に覚えている曲は、「夢の途中」でした。

♪さがしものは なんですか
  見つけにくいものですか♫

連れにこの話をしたら、「ふう~ん」とだけ。
40年も前の話ですからね。

ちょうど娘が1歳くらいの時で
夜広島の社宅に、
作業服のまま帰ると、私の顔を見るとよく泣きました。

その娘の子供(孫)が、陽水の曲を歌うんですからねぇ・・・・。




nice!(8)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

PC-9801入門コース修了書

最近、家で片付け仕事ばかりやっています。
人生の「終(し)まい方」に目覚めたせいかも・・・。

現役時代よく読んでいた
プレゼンテーション、人間関係、コミュニケーション、
危機管理などの書籍は、いま週2回ほど働いている会社の若い人たちにあげました。

使わなくなったパソコンは初期化、後日廃棄処分に、
またソフトはディスクごと細断処分、
と思いながら、状況は遅遅として進んでいません。

そんな中で紙類を整理していて見つけたものが、これ。

PC9801修了書証 .jpg

懐かしいPC-9801シリーズの入門コース受講修了書。
日付は、1994(平成6)年5月30日となっています。

私がパソコンに触れたのは、
その2年ほど前ですから、かれこれ四半世紀にもなります。
その前、
ワープロ(富士通オアシス)を会社で使い始めたのは
1979(昭和54)年ですから、キーボード歴?もかなりになります。

やがて、98シリーズでは周辺機器の拡張に限界が現れ、
OSは世界標準のPC/AT互換機市場から、当時としては画期的な
Windows3.1という視覚的にもわかりやすいものが売り出されました。
いまで言えば、「ぽけもん GO!」みたいな話題になりました。

ですから、
使い慣れたPC98 シリーズからPC/AT互換機に買い替えたのは
たぶんこの修了証書を貰ってから1,2年後でしょう。
この修了書は、98の「卒業証書」みたいなものだったんでしょうね。

我が家のパソコンOSも
Windows3.1、95、98、MEとバージョンアップし、
さらにWindowXP、Vista、7、Windows8.1と進化していきます。

そしてWindows10へ。

今日、我が家のWindowsパソコンは、
Androidタブレット2台を除き
すべて、なんとか無償のWindows10へバージョンアップできました。
無償ダウンロードまであと5日しかない中でした。
(使い勝手の悪さと操作しにくさはこれからも続きますが)

メイン機:EPSON Endeavor MR6900(デスクトップ)4年使用
サ ブ 機:ドスパラ Praimeのオリジナル改造(デスクトップ)6年使用
ノ ー ト:NEC  LaVie, 富士通 Life Book(連れ専用)
     富士通 ArrowTab

仕事場で使っている
トラブル続きのDell Vostro1510(約9年使用)は、
net情報では不可でしたが、
どうしても諦めきれず、何度試行してもWindows10にはなりません。

あと5年ほどのMS社サポートが続くまで使うか、
仕事の区切りをつける1年後に処分せねば、と考えています。

1枚のこの修了証書が
この時期にひょっこり姿を現したのも
私のパソコン歴を振り返らせるいいきっかけとなりました。

5月に古希を迎えた私としては、
元気でいるうちになんとか家中のパソコンをノート1台までにはしなければ、
と新たな決意?をしました。


nice!(6)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

鴫立庵(しぎたつあん)、一句詠めれば趣も。

先日、縁あって
神奈川県大磯町にある「鴫立庵(しぎたつあん)」に行ってきました。
知る人ぞ知る、俳諧の聖地、西行法師ゆかりの場所。
「湘南」の地名の誕生地でもあります。

なんとこの建物の歴史は
寛文4年(1664)まで遡れる日本三大俳諧道場の一つだそうです。
詳しいことは、
ウィキペデア「鴫立庵」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%AB%E7%AB%8B%E5%BA%B5
とか
「大磯町」のホームページ
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/meisyo/shigitatsuan.html
などでご覧いただくことにして、
いっとき数百年前を感じさせる私撮影の「鴫立庵」の雰囲気どうぞ。

下車駅はJR東海道線「大磯」。
鴫立庵11.jpg

駅から歩いて5分のところに庵はあります。
鴫立庵1.jpg

門の手前には樹齢数百年という巨木。
鴫立庵2.jpg

この辺は鴫(しぎ)が多かったところから
平安末期の歌人、西行法師が古今和歌集で詠んだ
「こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」
から「鴫立庵」と命名されたと説明されています。

とにかく国道1号線の脇なのに、静寂そのもの。

鴫立庵10.jpg

鴫立庵4.jpg

鴫立庵5.jpg

鴫立庵6.jpg

鴫立庵7.jpg

鴫立庵8.jpg

鴫立庵9.jpg

ここに来た目的は、
新人スタッフさんたちの研修のため(私は、講師)。
教室?は、ふだんは上がれない座敷を使わせていただきました。
鴫立庵12.jpg

俳句と言えば
前職現役時代、仕事の先輩から誘われて
(乗り気ではなかったのですが)会社の俳句クラブに入会させられました。

若い部員がいないと言うことで
広報部にいた私が目にとまったようですが、
全員中高年の男女の中で、ひとり浮いておりました。
季語を覚え、3ヶ月ほどお付き合いしましたが、
雰囲気に馴染めず、自然と遠のいた世界でありました。

あれから35年・・・。
よもやその世界では超有名なこの「鴫立庵」に仕事(!)で来るとは・・・・。

およそ4時間半滞在しましたが
日本の俳諧文化の歴史の深さににちょっと感動したひとときでした。






nice!(7)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

自分が確かにいたところ

1ヶ月ほど前、
元の会社のOB会に参加してきました。

毎年開催の会場は
場所柄、ふたつのホテルを交互に使います。
もちろんどのホテルも大事なお客様でもあります。

開会は11時半からなのですが、
私も含め律儀なOBたちは、11時前から受付にやってきます。

現役時代から
とにかく時間のルールには厳しく育てられました。
会議5分前には全員揃う、
60分と決めた終了時間は5分前になるとエンディングの準備・・・。
ですから、こう躾けられた私には、
いまの仕事場で、
時としていかがなものか?と感じることも・・・。

懐かしい顔がいっぱいでした。

成友会1web.jpg

成友会2web.jpg

ミュージアム時代に、
社内に知る人ぞ知るけんか?もどきのお相手(元役員)さんが、
私の姿を見つけて、笑顔で握手を求めてきます。

「いやいやMさん、お元気でしたか?」

「じゃぁ、いっしょに写真を撮りましょう・・・」と私。

成友会4web 小.jpg

ところで、
このようなOB会には、絶対参加しない方もおられます。

現役時代のいろいろな感じ方が積み重なり、
今さら行って、元役員や元上司が
相変わらず偉そうにしているのを見るのはいやだ、と思うのはごく自然です。

出てくるのは元雲上人のお歴々もいれば、
仕事でよくぶつかって、この~ぅ!と今も鮮明な記憶がある人も・・・。
いっしょに知恵を出しながら問題に取り組んだ仲間も・・・。

でも私は毎年参加しています。

みんな一緒に歳を重ねていますので、
会えば「いや~お変わりありませんねぇ~」と言葉を交わします。

社史をやっているとき
編集方針の大幅な変更で、血圧を上げ
とどのつまりに私に「ちゃぶ台返し」をさせた元副社長さん。
「Mさん、お元気そうで何よりです・・・」、と微笑まれます。

みんな「いまは むかし」のことばかり。

閉会の締めは、私の同期生(現会長)。
辛いこと、いやな思い出よりも
あの時代いっしょに働いて、
お互いワイワイがやがやと走りまわっていたことが残っています。

成友会3web.jpg

自分がこの会社で半世紀近く確かに働いていた、
そんなことを実感させる、反芻させる、そんな時間でした。

広報や営業部門にいたおかげで、たくさんの人たちに巡り会いました。
ミュージアムでの7年半もおつきあいが広がりました。

参加出来る先輩諸氏は、
この会場まで自力で来られる方ばかり。

長兄(80)も次兄(75)も
同じ会社で働きましたので、年によっては会えるときもあります。
3人そろうと、参加者に冷やかされます。

さぁ、私は来年も再来年も参加出来るかな?




nice!(8)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

ついにダウン 加齢?なるDell Vostro1510

9年近く使い込んでいた
Dell Vostro 1510 がついに息も絶え絶えに・・・。

Windows7 のご老体なれど私のように見かけ元気で
仕事をする上で、そうトラブルも起こさなかったのに、
2,3日前、いつものように会社の自席で立ち上げて
さて原稿の書き直しを、と思いましたら、
まったく打てないのです・・・・。

dell-2.jpg

日本語変換には、
20年近く愛用しているATOKを使っているのですが、
windows keyとスペースキーを同時に押し、
IMEに切り替えても、症状は同じで・・・・、は同じ。

再起動すれどダメ、F8でセーフモードでも駄目、
ネットで症状解決策を探しましたが
設定から「フィルターキーの解除」を試みるも解決せず・・・。

もはやこれまでか!

ならば、
と仕事で必須のフォルダー(なんと15G)を
これまでの経験を活かし、外付けハードディスクにバックアップし、
Windows7の再インストールを考えました。

会社では、
windows10へのアップグレードは未公認ですし、
Windows3.1時代からのユーザーとしても
新しいのは使いずらい・・・・(家で苦労しています)。

しかし、
クリーンインストール(まっさら)にするには、
9年近くのソフト(およびバージョンアップ)や古いデータが
すべて消えてしまうことになります。

もうリタイヤしているんだから
ミュージアム時代のメールなんて、用がないでしょう?
使わないソフトもてんこ盛り、ど~するの?

重い「ご老体」を会社から家にお運びしたものの
3時間、解決策も見いだせず、しばらく画面を見つめて思案しましたが、
もはやシステム上の問題ではなく、ハードが原因ではないかとも・・・・。

一度Windows7の再インストールをして
それでもなお、持病が完治せねば、諦めざるをえません。

思案の結果、クリーンインストールへ。
それは決断としてはよかったのですが、
officeやセキュリティソフトのインストールで手こずりました。

dell-1.jpg

翌日も取り組み、何とか仕事が出来る状態になりました。

再び会社に持ち込み、
一緒に働いている元IT関連出身の若い方に、
共有プリンターやイントラにつながるようにしていただきました。

その彼曰く、
「9年近く毎日使っていてここまで来たのは、大当たり!ですよ。
比較的堅牢なDELLでも、
使い方によっては数年でダウンしてしまいますからね。」、と。

華麗(加齢)なるダウン?でしたが、
私だって頑張っているんだから、
なんとかあと1年くらいは動いて貰わなければ・・・・。
そしてそのあたりで、私も「引退」することにいたしましょう。

ああ、でも回復できてよかったです。


nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

stay or leave ?

ブログの下書きを8本抱え、
なんとかせねばと悩んでおります。

友達が住む英国では
今週後半に国を二分させている国民投票が・・・。

In-or-Out-web.jpg
UK-Yes-or-No-web.jpg

たくさんの関連記事の中で、目にとまった見出し。

Should we stay or should we go - how the EU debate affects property

大変わかりやすい文言ではありますが、
人の命が関わったことを理解しますと、なぜか客観的に素直に読めない感じで・・・。

いよいよ23日か、どうなるんだろうと気にしていましたら、
英国から悲報が・・・・。

残留派の若い女性議員が銃で撃たれて亡くなるというニュース。
幼い子供さんが二人もいるお母さん議員です。
背景を知れば知るほど、いたたまれない思いです。

検索で
「uk stay or leave eu  chamber killed」と入力したら
英語のよくわからない私でも、内容が理解出来る見出しがたくさん。

折しも国内では
なんともはや都知事のお粗末で情けない結末。
また、参議院選の
与野党のかみ合わない意見の対立などが情報として流れています。
5年ほど前の国内状況を振り返ると、
党の偉い人たちの発言も何だかむなしさを覚えて・・・・。

私のブログの
下書きもなんとかせねば・・・。
う~ん、とため息をつく今日この頃です。





nice!(5)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

古来稀なり、なのだ

70回目の誕生日です。

「人生七十古代稀」というのは、
唐代の詩人・社甫の「曲江詩」からが出典とか。
その稀(まれ)な歳になってしまいました。

本当は、満年齢ではなく数え歳、といわれていますので
去年から私は稀な年齢であったわけです。

でも、
最近の厚生労働省の「簡易生命表」によれば、
平成26 年簡易生命表によると、
男性の平均寿命は80.50 年、女性の平均寿命は86.83 年とか。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life14/dl/life14-15.pdf

私が生まれたころは、
男 50.6年、女 53.96年ですので、30年前後長生きするようになりました。
これは戦争直後ゆえ極端な数字かも知れません。
昭和25~27年には10年延びて
男が59.57、女性は62.96ですから、戦争が理由だということが理解出来ます。
でも最近の数値、健康寿命は79.4歳と言いますから、
10年以上前から私が予告している「その日」には、
やっぱりあと5年ということになります。

高齢者のどなたもおっしゃるように
「あっ、というまにこの歳に・・・」が実感ですが、
1分60秒、1時間60分、1日24時間は変わらないわけですから
1年365日×70年、ということで私はここまで生きてきた・・・・。

気になる頭の様子を自分撮り。

古稀2.jpg

ああやっぱり、
年相応な状態になっています。
65歳以上は、法律上でも「高齢者」ですものね。
どうも最近、天気のいい日に帽子なしで歩きますと
太陽を身近に感じるのは、このせいでした。

「月刊文藝春秋」6月号の巻頭に
「世界で一番貧しい大統領」で有名な
ホセ・ムヒカ(ウルガアイ前大統領)さんの
「日本人への警告」が掲載されておりました。

その最後の方(103頁)に、
取材者の「老いるとは?」、の質問に答えて

「・・・年齢に応じて
その時の人生の目的、あるいはするべきことは変わっていく。
年老いてもできることはある。年老いても役に立つことがある。
老いているからこそ若い人には代えがたいものがある。
社会がずっと蓄えてきた英知を持つ人間になることもできる。
老人の役割は、
自分の中に蓄積されたその英知を若い人に向けて発信するということだ・・・・」

の記述を見つけ、
しばらくその頁に目を留めておりました。

70歳だから、と言って
それらしく、生きる、とは考えていませんが、何かヒントをもらえたようです。

この歳にもなって、
自分のおつむを撮ってアップするなんて、と
連れにこのブログがばれたら、非難ごうごう!ですので
しばらくは、息を潜めて?・・・・。

あと一緒に連れと暮らせるのも、
これまでほどではないわけですので、
仲良く暮らしてまります、というのが私の人生なのでしょう。

それにしても
いったい「古稀」だなんて、だれのこと?

nice!(8)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

28年目のテーブル化粧直し

家を建てたとき、
結構ムリしてセミオーダーで作った居間のテーブル。
天板は使い込んだ風格?というより、単純な経年劣化で、
私たちが生きている間?は何とか保つように、と
買い替えを視野に入れて数ヶ月考えておりました。

旧テーブル1.jpg
↑ 手を加える前(汚れ。キズが酷い)。

ネットで探した
地元の業者(塗装)に現状の写真を添付して見積もって貰ったら
新品同様にするには、8~10万円との話にビックリ。
そこで連れと家具の量販店へ。
これがピンキリで、最安値は5万前後・・・・。

我が家の食卓は長さ180cm、幅90cmなので
連れと一緒にニトリからイケア、某有名家具店まで
いろいろ見た結果が、なかなかいいのが、ない。
片目をつぶって、しばらくこのままで行こうということに。

ところがこの連休中、
連れが孫を連れて大きな公園へ行ったおり、
たまたまのぞいた近くの木工インテリア店で、出会ったのが職人夫婦。
孫たちに独楽を買ったときに交わした会話がご縁で、
我が家の居間のテーブルを塗り直してもらえることになりました。
それもUnbelievable!なお値段で。

1週間の作業期間中、テーブルがないと困るでしょう、と
貸していただいたのがこのご夫婦の初期の作品です。
仮テーブル.jpg

しっかりとしたつくりの2人用で、
結婚44年目で新婚さんの家のような雰囲気になりました。
座ると連れの顔が結構アップで迫って?まいります。
余りにも距離が近すぎて、食事中も気恥ずかしさと緊張感が・・・・。

私「神田川の世界だねぇ~」

連れ「・・・・」

これが塗り直していただいた天板です。
新テーブル天板.jpg

新品同様とは言えませんが、
とても馴染んでいて気に入りました。
いまでのレイアウトも以前と同じでしっくり・・・。
新テーブル.jpg

テーブルが化粧し直され、元の場所に落ち着いてから1週間。
いつものおだやかな居間の風景になりました。

連れも私も、いつものように暮らしております。


nice!(4)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

「たられば妄想」(仮定法過去)Vol.2

前回に続き、
「たられば妄想」(仮定法過去)Vol.2を始めます。

その3
「建設業を進路として選ばなければ・・・・・」。

ゼネコン  34年(広報→現場→広報→営業)
同子会社  7.5年(ミュージアム)
ゼネコン  2.5年(社史編纂)
合計    44年 これが私の建設業で働いた内訳です。

T社広報部最盛期時代.jpg
↑35,6年前の広報部。矢印が私。会社もキラキラ輝いていた時代でした。

私が幼いとき逝った父の影響?
2人の兄たちがその遺志を継いで、建設業へ。
風呂屋の子で育ったのに、私も建設会社へ、それも兄弟3人同じ会社。

在学中、
私は最初から建設に決めていたわけではありませんでした。
昭和42,3年は、まだ景気もそう良くはなく、
田舎には母が一人で風呂屋をやっておりましたので、
私くらいは残った方が良かったかも。

でも風呂屋は商売としては発展性はなく、
廃業を見据えて市役所にでも就職する、という選択肢もあった・・・。

母は、私の就職については一言も言いませんでしたが
たぶん心の中では、
兄たちがみな旅に出ている(高田から離れている)ので、
一人くらいは残って欲しかったと思っていたのではないでしょうか。

その母が亡くなって、もう20年になります。

▀その4
「連れとの出会い」

このタラレバをたどると
結局、父が土建業をしていたところと
2人の兄たちが、父と影響を受け、
同じ会社に就職していたというところにたどり着きます。

連れと私は、同じ会社。

T社人事部1970年頃.jpg
↑これは入社案内制作のため撮られたもの。左の方に課長の前に立っているのが私、蛇足ですが、連れが一番右で仕事をしています(もちろん、所属の部署は違います)。
机には黒い電話機だらけ。もちろんパソコンもございませんね。昭和46年頃の写真です。

人生とは、「ご縁」の連続ですね。

連れの就職とて
たまたま彼女の父から進められたのがきっかけ。
思うに本社が銀座にあったというのも、選択の要因では?
何ともうしても、「世界の銀座」でございますからね。

こうして書き綴っておりますと、
「たられば」の連続があって、いまの私がいるんですね。

これからは、残っている時間も少ないですから
ドラマチックな「たられば」はないでしょうね。

また、いろいろ振り返って
「たられば妄想」(仮定法過去)Vol.3をまとめたいと思います。






nice!(5)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

「たられば妄想」(仮定法過去)Vol.1

If I were a bird, I would fly to you・・・(現在の仮想) 、
If I were a bird, I could have flown to you・・・(過去の仮想)

Seagull.jpg

なぜか英語苦手の私が、
この文だけはスラスラ言えるのが不思議です。

最初の方は、
「私が鳥だったら、私はあなたの所へ飛んでいく」
あとの方は
「私が鳥だったら、私はあなたの所へ飛んで行けた」と
過去の仮想状態を言うんだそうです。

そういえば、ジョン・レノンの曲に
「Free as a Bird」というのもあったなぁ~。

で、
私の70年を振り返っての「たられば妄想」(仮定法過去)の始まりです。


▀その1
「もし 私が 片親でなかったら・・・・」

これは、自分のいまを定める大きな要素です。
父は田舎の土建屋で、苦労して自分の会社を立ち上げ
家庭を顧みない?仕事人間。
それが、過労で肺炎を起こし入院し、
こともあろうに
病院を抜け出して現場まわりをしていた、と母は話していました。
でも、体力尽きて49歳で他界。
昭和25年の6月のことでした。
私、数えで5歳の時です。
そのあとは、
明治女の母の奮闘で姑と5人の子供を抱えての暮らしです。

もし、
父が病に倒れなかったら私はどうなっていたのでしょう?

母は風呂屋を始めなかったでしょうし、
私は、そんなに父を意識しなくて、
もっと別の商売に就いたかも。


▀その2
「もし 私が 体操部に入っていなければ・・・」

高校1年の夏休みに
幼馴染みのN君が私を誘って高校の体操部の練習を見に行きました。
それがきっかけで、8月末から体操部員。
何も分からず、頼まれるとイヤだとは言いにくい性格。
で、入部したのはいいけれど、
マット3枚の上を前転して立ちあがったら、気分悪くうずくまる。

1年生の部員が夏休み前にやめて
最低でも1人どうしても補充しないと、
来年は試合に出られない、という状況を知ったのは
私が入部してからのこと。

そんな私が1年後にはインターハイ出場。
その翌年には国体に出場して優勝~、っていうことになるんです。

1965,2月,県スポーツ賞.jpg
↑高校男子団体徒手で優勝、新潟県の天皇賞にちょっと貢献。私は右から4番目。

もちろん勉強は後まわしゆえ、
進学は入れるところに入る,というのが現実でしたが、
もし、
N君(いまや大化学メーカーY社の会長さんです)が
私を引っ張らなければ、
たぶん「可もなし不可もなし」のフツーの、だれの印象にも残らない高校生。

いまだにN君は、オレがお前を男にした、と
豪語していますけど、確かにその通りでしたね。

でも、3年の秋までほとんど勉強しなかったので、
もし、ちゃんと勉強していれば、違う人生を歩んでいたでしょうね。

1964,3年引退後プール脇で.jpg
↑プール脇で2年生と組み体操遊び。3年の10月には現役引退。私は左から2番目。

もし進路を体育会系の学校にしていたら、
体育の先生になっていたでしょう、教え子との出会いも・・あったかも。

次回の妄想は

その3
「建設業を進路として選ばなければ・・・・・」。

妄想は続く どこまで続く・・・であります。


nice!(5)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

私、保険難民?かも・・・

「お客様はあと2年半、
お入りになれる保険はございませんね。残念ですが・・・・」

頭では分かっていたつもりでしたが
某ショッピングモール内の保険相談センターで
ベテラン女性社員(Financial Planner)から言われた言葉に、
私も連れもちょっとだけ寡黙に・・・・。

前の会社の
OB向けに発売されていたグループ医療保険は、
掛金もリーズナブルで配当もよく、実質半額。
それが限度の70歳になるので、
解約となる、という手紙が届きました。
一緒に入っていた連れも資格なし(解約)に。

70歳以降の保険のパンフレットも同封されていましたが
これらは保険料がかなり高額です。

冒頭の女史コメントは、
どの保険も三大疾病がないのが条件で
5年経過していることが条件とのこと。

私のガンは、
2013年の夏ゆえ、まだ2年半しか経過していません。

だから加入条件を満たしていない・・・、おっしゃることは正解です。

「うーん~・・・」

これはある意味大変なことですね。
私は病気できない、
入院しても補填するものが何もないわけですから。

前の会社を辞める前から、
アヒルが出てくる保険会社の「がん保険」も解約しておりました。
年金生活に入る準備のため、できるだけそぎ落としておこうと考えたからです。

辞める時に受けたドッグでガン発覚。
そして入院手術。

いやいや運命というものは実におもしろい?

古い資料ですが「全国がん(成人病)センター協議会」の
食道がん10年節目の生存率のグラフです。
進行状態(ステージ)別の生存率ということになりますか・・・。
すべてのガンの比較でも、そう生存率は高くないということになります。

食道ガン生存率1.jpg
食道ガン生存率2.jpg

お話し変わり、
連れは窓口の方と十分に話をし、
掛金が一番少ない保険に入ることになりました。

連れは大きな病気何一つせずに60有余年生きてきましたが、
やはり「万が一」ということは否定できませんから、
まさに念のため。
私のことより、それが決まってホッとしました。

「私が入れる保険がないことがわかりました。
とにかくこれから2年半は健康?でいなければ・・・・・」

「お客様、入れる保険はあります。
どんな病気でも受け取れる保険があるのです。」

「えっ、それは?」

「死亡保険です。いわゆるお葬式費用の準備でして・・・。」
でも掛金は結構高くて、100万円コースならば毎月9千円前後・・・・」

「途中で亡くなったら?」

「時期にもよりますが、積立額の何割とか・・・・。」

「1年で約10万円か・・・。10年生き積み立てても100万。う~ん・・・・」

ちょうど昼ご飯の時間になりました。

連れと私は、言葉もなくレストラン街をフラフラと歩いておりました。



nice!(7)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感

44回目の結婚記念日、連れと久しぶりの銀座

先日,
結婚44年の日を迎えましたので
若い頃一緒に働いていた会社のあった銀座にまいりました。

こういう節目の機会でなければ
現座になんて行く機会はなかなかありません。

今回は、連れのご要望で
3月末にオープンした「東急プラザ銀座」見物となりました。
この場所は、元「東芝ビル」(銀座マリオンの向側)があったところです。

銀座東急プラザ1.jpg

http://ginza.tokyu-plaza.com/

元ゼネコン社員ゆえ、
耐震改修工事をS建設がやっていたのを立ち止まってみていました。、
あるとき仮囲いができ、あっというまに解体(哀れ)、
更地になったところまでは知っていましたが、2年半ぶりに訪れると
「東急プラザ銀座」が誕生しておりました。

途中階から日比谷方面を見下ろすと、
「ニュートーキョー」(ビアホール)がありません。
元働いていた会社が,ビルを解体して建て替え工事をしているようです。
あまりに長く眺めていたので、連れに注意されました
(言われなくても分かっております、もうあなたは現役じゃないんだから・・・)。
銀座東急プラザ2.jpg

屋上は、開放的なテラス。
「キリコテラス」というところですが、
銀座のビルの屋上にこのようなスペースのあるのは珍しい。
(昔むかし、「松屋デパート」の屋上には小さな遊び場やお店あったけど)
銀座東急プラザ3.jpg

銀座東急プラザ4.jpg

銀座東急プラザ5.jpg

昼時でしたのでとにかく飲食店のある10,11階へ。
相対的にすいているところを優先するのは私たちのルール?で、
選んだのは、「魚河岸 次郎松」の天丼。
ランチメニューで大きな穴子とエビ、そして何と言っても価格が決定打でした。

窓側で、待っている間、下を覗くと
見慣れた「銀座熊本館」。
そこにたくさんの人たちが行列をつくって並んでいます。
銀座東急プラザ6.jpg

http://www.kumamotokan.or.jp/

地元支援販売を行っているのです。
今回の「熊本大地震」への気持ちを表す人の行列です。

「東急プラザ銀座」がオープンしてまだ1ヶ月ですので
館内はどのフロアもひとであふれていまして、お茶するところがありません。

で、ようやく見つけたのが6Fの「数寄屋橋茶房」。
ここはおよそ25mはある大きな吹き抜け空間があるレストランで
たまたま席が空いていましたので、メニューを見ることなしに入りました。
銀座東急プラザ9.jpg

銀座東急プラザ8.jpg

このお店でサプライズ。
オーダーを聞きにくれた女性スタッフさんが
「お客様、失礼ですが
銀座のケネディハウスの常連さんでは?私、夜はそこで働いているんです。
お客様のお顔はよく存じております・・・。
まだボトルもございます。」

私はまさに、「えっえ~・・・」でありました。

確かに25年以上前に
六本木の開店時代から通っていたライブハウスですが、
リタイヤしてから、
また病気で酒が飲めなくなってから、とんとご無沙汰状態。
もう1年半以上は顔を出していません。
なのに、顔を覚えていてくれた・・・・。

減座の風景を眺めながら、
連れとしばしこの話題で話をしていました。

銀座は、私たちにとって思い出の場所。
昭和44(1969)年の同期入社ですし、
1丁目から8丁目の銀座中央通りはもちろん、いろいろ知っています。
もうあれから47年、街も変わったけど私たちも変わりました。

帰り道、すぐには有楽町駅に向かわず、
4丁目から2丁目まで歩きました。
休日ゆえ、「歩行者天国」で、外国人観光客もたくさんいました。
銀座東急プラザ10.jpg

2丁目角の「三共」(薬屋)は、ずいぶん前からブランド店に。
銀座東急プラザ11.jpg

今年で44回目の結婚記念日は、
二人ともお上りさん気分で楽しめました。





nice!(4)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

高田の春は爛漫と~♪

施設に入居している80歳の姉の様子見と
ついでに
ふるさと・高田城址公園の夜桜(日本3大夜桜)を
見物してきました。

幼いときから4月になると「花見」が楽しみでした。
夜店がいっぱい出ていて、
母から貰ったお小遣い(100円くらいか)を手に
ワクワクしながらお店をのぞいていた自分を思い出します。

フラッシュや夜景用の設定が難しくそのままで撮りました。
高田夜桜1.jpg

しだれ桜も有名です。
高田夜桜3.jpg

何と言っても三重櫓と桜は絵になります。
高田夜桜4.jpg

長兄夫婦との観桜会。
兄(79歳)に撮ってもらいました。
高田夜桜2.jpg
もうすっかり老夫婦です。

帰り道、ふと考えました。
「あと何回、高田の桜を観に来られるか・・・・。」
花の命は短くて・・・、と思わず口に出てしまいますが、
私の人生のほうが短いことを思うと、
毎日おろそかには出来ないなぁ、と何だか気持ちがさっぱり。

さぁ、明るく、元気にまいりましょう。

タイトルの「高田の春は爛漫と~」は
市民歌となっている「高田の四季」の冒頭の歌詞です。

https://www.youtube.com/watch?v=Hm32uBvPUQw

歌詞の言葉ひとつひとつに思い入れがあり
何だか目頭が熱くなります・・・・。
古希目前になると、涙もろくなるのでしょうか?




nice!(6)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

やっぱり私は「高齢者」!?

週末、
またもや「やっぱり私は、高齢者」と
(不本意ながら)思わせる通知が我が家に届きました。

高齢者用肺炎球菌ワクチン予防接種20160402.jpg

市からの
「高齢者用肺炎球菌ワクチン予防接種予診票在中」と表記された封筒がそれです。

時折「西田敏行」さんが出ている肺炎予防のCMですね。

平成28年4月から平成29年3月の年度内に、
65,70,75,80,85,90,95,100歳になる方が対象のようで、
市内の病院、クリニックなどに予約を入れてからの接種となります。

それにしても
やっぱり私は「高齢者」なんですね、区分上は。

いま、4月入社の新入社員研修のお手伝いをしていますが、
18歳から22歳のフレッシュマンに接すると、
私はさほど隔たりはないと思っても、
彼らにとっては、
50歳もの差があるオジイサンになっているんですなぁ~。

通っている市営のスポーツセンターは
68歳以上マシンは無料、
シネコンでの映画鑑賞は、 千円ちょっと。

こうして、自分の意識とは関係なく、
老いの囲い込みの現実を知るのでありました・・・。



nice!(6)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

チラタ水力発電所 ある「偲ぶ会」

インドネシアに100万KWの電力と34億トンの水の供給を可能した
ジャワ島中部の大きなダムと巨大な地下発電所。

建設当時、その現場の工事長だったSさんが1月に亡くなり
2月末、当時現場や本社で関わった方々80人が集まって
東京・新宿のあるホテルで「Sさんを偲ぶ会」が開かれました。
ジャカルタから
当時のインドネシアスタッフもいらしていました。

20160229 Mr.shishido-hide-oneself.jpg

この工事は
土木・事務社員最大40名余、技術指導員を含めると200名、
そして同国の作業員5,000名が24時間の昼夜兼行で建設した大プロジェクトでした。

1988年7月完成のチラタ(CIRATA)ダムは
堤高126m、堤頂長456mのコンクリート表面遮水型ロックフィルダム、
その総貯水容量は31.65億㎥(日本大ダム会議資料)。

同時に着工された
地下発電所は、幅35m×高さ49.5m×奥行253mの巨大なもので
ちょうど超高層ビルを横に寝かせた感じの大きさになります。

私は、当時広報部にいて
記録映画の撮影や社内報の取材、
TVコマーシャルの制作で数回訪れています。
インドネシア・ジャカルタ国際空港(スカルノ・ハッタ国際空港)から
車で4時間近くかかるバンドン(バンドン会議 1955年4月)の手前。
いやはや毎回乗っているだけで疲れ果てました。

その工事の責任者で東北ご出身のSさんは、
いかにも土木屋という風貌で(建築屋さんと違う雰囲気)
背は高く、声も大きく、日本語で話されるときは東北弁そのまんま。
その声で、社員やスタッフをリードされました。

「おう!、Mちゃん、ご苦労さんです!」
取材や撮影で私たちが行くたびに声をかけて下さいます。

「偲ぶ会」のSさんの写真を見つめると
その姿と声が蘇ってきました。

ひとは一生の間、
数え切れない人たちと会って人生を終えるわけですが。
同期が、元スタッフや部下の方々が、
こんなにも集まって、
それぞれの人生の中で出会ったSさんを偲ぶなんて、
羨ましくもあります。

ご遺族の方々の答礼ご挨拶も心に響きました。
現役時代、別居がちな父に対する思いはいろいろですが、
マジメに真剣に一生懸命取り組む父の姿は、
しっかりとお子さん達に刻み込まれておられました。

建設に関わるすべての人々の
生きた証は大小に拘わらず、自分が手がけたものが「残ること」です。

つい先日、
北海道新幹線が開通しました。
青函トンネルは24年かかった工事ですが
海底部24km、全長53.85kmを
これまで在来線特急ならわずか?24分前後でくぐり抜けました。

数年前連れと北海道を旅をしたとき、
工事中に取材に訪れたこの工事を思い出し、
ずっと暗い車窓を眺めておりました・・・。

いまの新幹線なら半分くらいなのでしょうか・・・・。

私も現役時代のいろいろな思いが膨らんできた
いいSさんの「偲ぶ会」でした。

ありがとうございました・・・・・。





nice!(5)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

スマホ落として、新宿駅奔走 顛末記

機種変更してちょうど1ヶ月の先日、
2ヶ月ぶりで新宿へ出かけた私でしたが
電車を降りるとき
内ポケットに入れ直した(と思っていた)スマホをなくしました。

それが分かったのは
西新宿のあるホテルでの集まりに参加するため
急いで歩いている途中に、前職の会社の方に会って
立ち話をしていたときでした。

「Mさん、携帯の番号を教えてよ」

で、私
内ポケットに入れておいたスマホを取り出そうとして
それがないのに気がつきました。

別れの挨拶も早々に
「さぁ、どうする?」でありました。

最後に触れたのは、
ホームで電車が着く直前、
手にしていたスマホを内ポケットに入れたときです。

ホテルでの会が始まるまで30分でした。

以下は、その時の 顛末記。

まず、落としたとすれば
内ポケットから滑り落ちたこと。
コートを着ていたし、
ちょうど5時半、帰宅の人たちで混み合う時間帯でした。
そうだとすれば、電車から降りてまだ20分も経過していません。

最初に行ったのは、降りた改札口。

私「あの~、ホームあたりでスマホ落としたんです。
新宿駅1番線着16:48の埼京線です・・・・」

駅員「ホームに戻って探しますか?」

私「??・・・」

駅員「落として間もないのなら、
まだ遺失物センターーには届きませんね。
もう少ししてから、ここへ電話してください。
冷たいようですが、ここでは何もできません・・・」

そう言われて、わたされたのがこの小片。

JR忘れ物問合せ20160229.jpg

例え電話をかけるにしても
西口近辺の公衆電話がほとんど撤去されているのは前から知っていました。
その上、
こういうところへ報告されるのは、早くても2,3時間後
(若いとき電車の網棚にカバンを忘れ、経験しました)。

困った顔をしていいる私を見た駅員は
「西口中央改札の事務室で事情を話して下さい・・・」と。

そういえば、
駅員の窓口には自動改札を通れない人たちが
6,7人も並んでいます。

急ぎ足で、西口中央改札へ向かいました。

私「スマホ落としたのですが・・・・」

駅員「埼京線で降りたのなら、ホーム事務室へ行って下さい。」

私は、スイカで構内へ。
そして埼京線ホームに向かいます。
構内もホームも帰宅の会社員であふれんばかり。
その中をかき分けて埼京線ホーム階段を駆け足で上がり
事務室を探しました。

分からないので改札口の係員へ声をかけます
私「スマホ落としたのですが・・・・」

駅員「どの辺ですか?いつそれがわかました?」

私「15分前です・・・」

駅員「それなら、埼京線ホーム事務室へ行って聞いて下さい。」

私「わかりました。ホームのどの辺にありますか?」
埼京線は、湘南新宿ラインも含めホームが4つもあるのです。

結局私は、
広い広い新宿駅を下図の矢印ように動きました。

新宿駅走り回りweb.jpg

ようやく
教えられた埼京線1,2番線ホームのホーム事務室へたどり着きました。

「あの~、スマホ落としたのですが、届いていないでしょうか?
25分ほど前このホームで降りたとき、落としたようなんですが・・・・」

構内業務の委託を受けている係員のおじさん(私よりもはるかに若い)
「どんなスマホですか?」

私「黒の手帳型の革ケースなんですが・・・・」

係員は狭い事務室の小さな机の引出から
何か取り出しました。
A6くらいの白い紙に黒いものがゴムバンドで止めてあります。

係員「身分証明書を見せて下さい。
いつ頃ですか落としたのは?お名前は、ご住所は?・・・・」

住基カードを提示しました。
それには私の顔が載っています。

係員「この用紙にご記入下さい」

なかなか私のスマホらしい?黒いものを見せてくれません。
用紙を出してようやくスマホを受け取りました。

私「ああ、よかった・・・・。助かりました。
ありがとうございました。
それにしても、
渡していただけるまでかなりきちんとチェックされるんですね。」

係員「スマホを受け取ると何も言わずに走り去るお客様もいるんですよ。
届けられた状況もきちんと確認し、本人確認もしてからお渡ししています。」
でも、こんなにすぐに届けられるのは少ないかも知れません。
よかったですね。」

かくして
1ヶ月前に機種変更したばかりの私のスマホが手に戻りました。

なくしたスマホ1.jpgなくしたスマホ2.jpg

反省点。

1.内ポケットにしまうときには底まで届いたか負荷を確認する。
  入れたつもり、は同様の失敗につながる。
2.電車の中では操作はしない(使わない)。
3.出来ればストラップをつける(首に回すのは幼稚園児のようでイヤだ)。
4.落とした際のセキュリティ確保を学ぶ。
5.ときどきバックアップを取る。
6.ときどき行くところの公衆電話の場所を確認しておく。
7.テレフォンカードを(探して)1枚くらい持っておく。

18時からホテルで開かれるその集いには
約5分遅れて到着しました。
私にすれば、どんな会でも
いつも2,30分前には到着するようにしていましたが、
今回ばかりは、ヘトヘト・・・・。

歩数計を見たらいつもより約4千歩多い。
理由は、上図の通り構内を走り回っていたからです。

いやはや疲れました・・・・。



nice!(9)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

「インフルエンザA型」がやってきた

インフルエンザA型にかかってしまいました。
昨秋11月、流行を前に、予防接種したにも拘わらず、です。

不調になってから10日たっても
まだ咳き込み、熱はないもののカラダがだるい・・・。
春のような天気と急に寒くなったりと
さほど自然に敏感ではないのに・・・。

20日午後より
咳はひどくなる、節々が痛い。身体がだるい・・などなど
風邪の症状が出てきましたので、会社を早退し
帰宅後風呂も入らず20時半よりベッドへ・・・・。

日曜はひたすら寝て養生、

月曜日に内科クリニックへ行って診断の結果
「インフルエンザA型」と。
5日間は薬を飲んで家の中で「蟄居」とのこと。

予防注射しても
かかる人はかかるという医師の説明に
「私のあの数千円は どこへいったのでしょう・・・」と
言いたくもなる。

いただいたお薬のひとつがこれ。
インフルエンザ薬-20160222.jpg

この薬、服用するのがとても難しかったです。
インフルエンザ薬チラシ.jpg

何とか飲みましたが
振り返ると、この薬で劇的に回復は・・・・なく。
ダラダラと今日まで過ごしています。

やはり風邪(インフルエンザを含め)は、
ひたすら養生し家で回復を待つしかないようです。

月に1度通うクリニック(糖尿病)では、
その養生の効果?(体重1kg増加)でA1cは大幅に増加し、
女医先生からお叱りを受けました。

「いつものように食べて、
意識してカラダを動かさないから、こうなるのよ!
もっと真剣に考えなさい!」

(ええ~っ先生、私インフルエンザだったんですよ~!)

そうは答えず、
「(おっしゃる通りであります)
次の検診のときには、数値が下がるよう頑張ります・・・」
とお返事しました。

私のインフルエンザは、
連れにはうつりませんでしたが、
どうも後から聞きますと、会社の方2名に広がったようです。

ごめんなさい・・・。


nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感