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「超高速!参勤交代」 越後高田藩の場合 その2

その1の続きです。

北国街道を南下し、上田から追分へと進みます。
北国街道と中山道の分岐点ゆえ追分といわれました。
ここ追分宿の宿内家数は103軒、
うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒で宿内人口は712人であったそうです。
※天保14(1843)年の「中山道宿村大概帳」

北国街道.jpg

■道中費用は莫大

ところで加賀藩の資料によれば、
大名行列とは、最低でも2,000人の人間と馬が
12泊13日間の徒歩旅行を行うことであるといえます。
これを今の金額で換算すると、
旅籠賃だけでおおよそ片道2億円になるようです。
これに日当・手当などが加算されるので、
さらに巨額になり、現在の価格で5~6億円という試算もあります。

当時北国街道では、
上クラスの旅籠賃が200文、中程度が150文、
団体割引料金で120文という記録が残っています。
信州上田宿の俳人・古草が
直江津の国分寺へ参詣した時の記録では、
高田旅籠 丁(丸山重兵衛方)は、164文でした。

高田藩が、
安永3年(1774年)4月25日に上田宿に宿泊したときは、
1泊160文と取り決めましたが、
後で賄い勘定役人の再交渉で1人につき4文を値引きさせ、
さらに10人分の宿泊費をただにさせています。
その結果、
当夜の旅籠賃は1人140文になり、かなりの経費節減になりました。 
  
このように、
宿が決まり、値段の交渉も事前に済んでいるにもかかわらず、
参勤交代の道中で行われる各藩担当役人と旅籠とのすさまじい宿泊費交渉は、
全国至る所で展開され、しばしば大きな問題を発生させました。

元文2年(1737年)に出された触令で、
権力にものを言わせる旅籠賃の値切りを行わないよう
各大名に注意をしていることからも、
値段交渉のトラブルが多かったことがうかがえます。

道中費用は、宿泊費だけではありません。
渡河のための川越費、
徒歩で行く者は4日に一度草履を履き替えねばならず、
その草履代、宿での酒代、重臣たちの按摩代、予定変更の宿のキャンセル代、
そしてさらに
幕府要人たちへのお土産代と、途方もなく出金していきます。
高田藩の場合、既述の単価で試算して、数千万円にもなりました。

■街道でおこる問題の数々

街道に立ちはだかる大河川は、
道中いつも対峙しなければならない大きな問題でした。
越後国内では、
河川数26のうち橋があるもの16カ所、信濃国内では河川数13で、
橋があるもの9カ所であり、架橋率は59%でした。

高田藩士鈴木魚都里の「東都道中分間絵図」は、
八代川に架かる瀬端橋(現背渡橋)を
「橋長30間、此道中第一ノ大橋也」と表現しているほどです。

高田藩の場合、
信濃・犀川、千曲川、上野・烏川、武蔵・戸田川という
橋のない大きな川を渡らなければならない。
浅瀬を徒歩で渡れればいいのですが、
流れが急であったり、深ければ、川越人足の肩車や蓮台と呼ばれる乗り物、舟に乗る。
犀川での「丹波島渡し」では、
深さによって一瀬10文、二瀬30文、三瀬39文と定められていましたが、
寛保2年(1742年)以降値上げされました。

また、
大きな街道での参勤交代の輻輳はたびたびであり、
途中の河川氾濫、藩主の病気、他藩城下での突発的な事件の発生により、
当初の旅程を大きく変えざるを得ない事態もありました。

参勤交代中の最悪のケースは、
こうしたスケジュールの変更により、
予定の宿場での本陣・脇本陣などの宿泊場所が、
いわばダブルブッキングされてしまうことで、
その調整のため、電車のダイヤグラムのような詳細な予定表を持参し、
絶えず先舳先へと先発の役職を派遣し、宿や通過城下に連絡していました。

それでもなお二つの行列が同時に宿場に入り、
藩の格式と、武家のメンツによって刃傷沙汰が起こり、その裁定を幕府に仰いだ
という記録もあります。

■大名行列の1/3は外注の専門輸送業者だった

参勤交代の行列は、
家臣やその家来達(陪臣)だけで構成されていたのではなく、
通日雇(とおしひよう)と呼ばれる人足が、その約3分の1を占めていました。

参勤交代には、
膨大な荷物を国許から江戸まで運ぶという「物流システム」が伴います。
江戸初期には、
宿から宿へリレー方式で運ぶ宿継人足が担当していましたが、
需要の増大と経費削減の要請から、次第に専業化していきました。
通日雇は、荷物の搬送を請け負う人足であり、
大名家に対して
通日雇の供給を請け負う専門の業者、六組(むくみ)飛脚問屋に加盟していました。

全国各地の大名は、
それぞれの城下町で雇用された通日雇を伴って江戸へ向かったため、
江戸の町には、
参勤交代時かなりの通日雇(とおしひよう)が集まり、
それがまた江戸のにぎわいを創出していきました。


これで「高田藩の参勤交代」は終わりです。

こういう知識があると、
映画を見てもいろいろ理解が出来そうですね。

幕末の「黒船来航」以後は、
この大名行列も規制が緩やかになって自然消滅して行ったようです。
固定的な規制が
時代に合わなくなってくるのは、いまも昔も変わりません。

時代の変化をどう先取りしながら施策に採り入れるか、
政府(幕府)の舵取りには、
微風でも感じ取るセンサーが必要ですね。



nice!(8)  コメント(6) 
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コメント 6

ちずのこ

アルマ さま
ゆきママ さま
makimaki さま
ビタースイート さま
ヨッシーパパ さま

みなさん、nice ありがとうございました。

自画自賛ですが
あまり田舎のことを知らなかった私が
よく調べて原稿をまとめたなぁ~と感じます。
また機会を見つけて
今度は越後高田藩の
江戸屋敷の原稿を書いたことがあるので
それをお読みいただこうと目がキラリと光りました。
by ちずのこ (2014-06-30 21:52) 

馬爺

参勤交代に関する記事面白く拝見致しました、徳川の大名に対する締め付けはかなりのものだったんですね。
by 馬爺 (2014-07-01 20:24) 

ちずのこ

馬爺 さま

niceとコメント、ありがとうございました。

いま読んでもおもしろいです。
先触れして、
殿様がかち合わないように
調整する家臣達の姿が目に浮かびそうです。
サラリーマンも似たようなところがありました・・・。
by ちずのこ (2014-07-01 22:08) 

ちずのこ

ネオアッキー さま

nice ありがとうございました。

時代は変わっても
事務方は社長のご出張に気と金を使います。
まして大人数ともなれば、
たとえわずかなディスカウントでも経費軽減につながります。
交渉場面が目に浮かぶようです。
by ちずのこ (2014-07-04 07:39) 

ヨッシーパパ

様々資料を揃えて、当時書かれた記録を、このような場所でご披露頂きましてありがとうございます。
参勤交代は、中学校の社会の時間にさらっと、習っただけで、これだけの具体的なことは、初めて知りました。
by ヨッシーパパ (2014-07-06 18:52) 

ちずのこ

ヨッシーパパ さま

niceとコメント、ありがとうございます。

自分の原稿ながら
いま読んでもおもしろいと思いました。
映画を観たせいで、
資料を読みあさっていた10年前を思い出しました。
また調べたい気持ちになりそうです。
by ちずのこ (2014-07-15 22:22) 

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