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The last personal computer その2

残りの人生を考えると、
生きているのはあとせいぜい10年未満。
家族に私の「デジタル遺産周辺」のストレスはかけたくありません。
デジタルデータの整理を始めて1年になりますが、
一向に進展していませんが。

デジタル遺産.jpg

それで、最終的には、
(意識があれば)病院または施設持ち込み用の
小さなモバイルノートパソコンと
自宅用の据え置きノートパソコンの2台にするべく春から準備をしました。
果たして最後まで操作できるかは、まったく不明です。
(連れは、私が認知症になったときが止めどき、と申しております)

まぁ男性の平均寿命は80.75歳ですので、
7,8年は使えるものが機種の選定基準になります。

PC-9821USからスタートした我が家のPC環境は、
その後、OSの進化と共にデスクトップも買い替えられました。
DOS→Windows3.1→Windows95→Windows98(→Windows2000)
→WindowsXP→Windows Vista→Windows8.1 、
そしてWindows10 に落ち着くはずでした。

デスクトップは、NEC、ドスパラ、Dell 、EPSONと変わり、
ノートは、富士通,Panasonic,東芝、Dell、NEC(Lavie)となっています。

今日時点で棚卸しすると、
デスクトップ:(メイン機) Epson Direct Endeavor
ノート:(自宅用) NEC Lavie 2機種、Fujitsu FMV
   ( 会社用)Dell vostro 1510(10年目 ! )、
タブレット:Nexus7、Toshiba REGZA、 HUAWEI
20171013-Desktop-Epson-Endeavor.jpg
20171013-All-PC.jpg

下は、10年前に購入したDell vostro 1510。
飾り気もなく(魅力的なプレインストールソフトもない)
地味なパソコンですが、いまも現役で週1,2回出社する会社で動いています。
それでも私の誤操作で全く立ちあがらずOSを2度再インストールしています。
幸いにもデータの9割以上は、
外付けの「ハードディスクでリカバーしていたので助かりました。
※我が家には外付けのハードディスクが250GB~1Tまで7台あり、
この処分も課題。
来年3月前後には仕事も店じまいするので、
会社から家に持ち帰って、この行く末を考えます。
Dell-old.jpg

これらのPC環境の中でハードを徐々に少なくし、
最後には、
冒頭に記したメインノートと入院用?モバイルノートの2台にすべく
準備を始めたところです。

悩ましいのは、連れ用に買った居間常駐のFMV。
6,7年前、パソコン教室へ行ってから白いノートが欲しいとのことで
買ったものですが、いまは全く興味なく、専らタブレットのみ。
本機は、娘が孫を連れて来たときのネットショッピング用になりました。

20171013-Fijitsu-FMV-old.jpg


唯一の私の道楽、パソコン。
ずいぶん使いこなせるようになりました。
MSオフィスで苦手なのはExcelの関数関係だけ。
あとは自由自在?(ワードのぶら下がり機能にはいまだ悩まされるけど)。
動画の編集も、
孫たちとの旅行を記録し上映できるなどスキルアップしました。

でも、といても負担に感じていることがあります。
それはセキュリティソフトの更新費用。
1台ならば必要不可欠なソフトゆえやむを得ないと思いますが、
7,8台分となるとかなりの金額で、年金生活ではせいぜい1,2台分・・・。

そうしたいろいろな状況の中で判断して決めたパソコンがあります。

(続く)



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The last personal computer その1

これが人生最後のパソコン購入、と3ヶ月考え、
ようやく決心して、先日手に入れたパソコンのお話です。

はじめに

我が家にパソコンが登場したのは、いまから約24年前のこと。
会社の仕事にもだんだんとパソコンが入ってきて、
自宅でも仕事を持ち帰ってやり続けていた私には
家にもその導入が喫緊?の課題でした。

余談ですが、会社も私も絶好調で、
「地図に残る仕事」というキャッチを手がけて、順風満帆!
(その数年後に、奈落の底へ落ちていくのですが・・・・)
20171010朝日 「地図に残る仕事記事 19930128.jpg

初のデスクトップパソコンを手にしたのは
DOSの最後、まもなくOSがWindows3.1になる直前でした。

機種名は、1992年7月発売のPC-9801US。

PC9801US-2.jpg

20171009 9801US4.jpg20171009 9801US3.jpg

主な仕様(カタログ値)は、
CPU: Intel 386SX 16MHz
バス仕様:8MHz系 CPU内部32bit外部16bit
メモリ: 標準1.6MB 最大14.6MB(2MBは61SIMMで内部増設可)
FDD 1: .2MB 3.5インチFDD 2基
HDD: なし40MB 80MB 最大528MB(ただしBIOS上では最大80MB)
シリアル: 最大9600bps(改造を行えば38,600bpsまで可能→5MHz改造)
パラレル:セントロニクス準拠のアンフェノールフルピッチ14ピン
CRT出力:D-Sub 15ピン アナログRGB 640x400 4096色中16色同時発色
その他1:拡張バス(Cバス)2基 FM音源(PC-9801-26k互換)
その他2:外部FD端子装備、メモリカード専用スロット装備

というものでした。
イメージ的比べると、古色蒼然としたとても懐かしいスペックですね。

日本語変換は、フロッピー7,8枚に入った「一太郎」でした
(これが今のパソコンでも使っているATOKの始まりです)。

我が家の通信環境(電話回線)で
初めてインターネットにアクセス出来たとき、
まず見たのは「大英博物館」(英文)ホームページでした。
今のようにサクサクとはまいりません。
最初の画面になるのには、数分の時間がかかったと思います。
アクセスしてから
トイレに行って戻って来ても、まだ読み込んでいましたから。

それから通信環境は、ADSL、ひかりと進歩していきますが
当時としては、
どんなに遅くとも、これで我が家も世界とつながった・・・と感激しました。
居ながらにして
(英語はわからずとも)
最新の情報を見ることができるって、すごいと思いました。


(続く)



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ブログ更新は画像ソフトの入れ替えから その2

ブログなかなか更新できません。

facebookだと2,3行書いて
画像を2,3点くっつけてアップすればオシマイゆえ楽なのですが、
やはり12年近く書き続けているブログとなると緊張してしまい、
やたら「下書き」が増えてしまいます。

この1ヶ月、画像ソフトの飽くなき入れ替え?に取り組み
「Paintshop Pro」というソフトでやり始めたのですが、
どうもしっくりこない・・・・・。
10年以上バージョンアップしながら
同じソフト(Photoshop Elements)を使い続けたせいでしょう、肌に馴染まない。

で、Adobe画像関係のものをすべて削除して
何度もパソコンを再起動し、
古いバージョン(Ver.10、11,12,13)のものを4つ遡って入れ直しました。

トラブルとネットで関連項目を調べ、
インストールしたものを削除し、再び入れ直す・・・・。
これをこの1ヶ月間やっておりました。
なにせ「同意します」から先へ進まない状態が続くのです。
自分ながらしつこいなぁ~と思いながら、
OSはWindows7 ですので、最新バージョン(15)は入れられません。

諦めかけていたのですが、Ver.13を試行します。
2年前、メイン機のdesktopにインストールしたのが1度目でしたので、
同じパソコンなら
2度可能ということを思い出し、祈るような気持ちで入れてみました。

認証画面を通過、これは・・・・。
立ちあがりました。
試しに1点画像を開けてみました。動きます。
一度閉じて、最初の画面が立ちあがるか・・・。
出ました。
パソコンを再起動し、ショートカットアイコンをダブルクリック・・・。

ご覧の通り、出ました。
Desktop-PSEver.jpg


約2ヶ月の空白がようやく埋まり、
古女房の手を握ったような感じがします。


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ブログ更新は画像ソフトの入れ替えから その1

1ヶ月もの空白。
どうもブログがアップ出来ません。
話題?はあるのですが、まとめられない・・・・。
写真もたくさん撮っているのに、
画像ソフト「Photoshop Elements」の不具合で加工できず、
何度削除・再インストールを試みるも
立ちあがらないというトラブルが直りません。

Windows7のサポート期限を気にしながら悩んでいましたが、
仕方なしに、ネットで評価を確かめ、
「Corel PaintShop Pro X9」なるものを購入しました.

でも、
やはり20年近くもバージョンアップしながら使い続けていた
Photoshop Elementのようにはまいりません。
そこで、今回は写真のみの初トライで以下にアップします。

先日、娘家族(ダンナは仕事)と私と連れの5人で行った
信州・斑尾高原リゾートでの数カットです。

高原というのに地上とまったく同じ。
30度プラス照り返しで暑かったです・
景色は涼しそう~。野尻湖が見えます。
野尻湖テラスからブログ.jpg
野尻湖テラス8 ブログ.jpg

孫たち(小2、幼稚園年長)は
野原(冬はスキー場)のいろいろなところで遊びました。
タイヤ ブログ.jpg

全員で楽しんだのは、パターゴルフ。
なんと18ホールもあり、
14年ぶりにクラブ(パターだけ)を握った私は、結構マジになりました。
パターゴルフ2 ブログ.jpg
パターゴルフ1 ブログ.jpg
パターゴルフ2web ブログ.jpg

ホテル以外に食べに行くところはありませんので
毎食バイキング、さすがに飽きました。
レストランは内外たくさんの家族連れで大にぎわいでした。
レストランで1web ブログ.jpg

これも何十年ぶりのトランポリンを孫たちと一緒に。
連れからは、やめなさい、やめなさいと何度も言われましたが、
垂直跳びだけはちゃんとでき、孫たちから賞賛を得てニンマリ。
トランポリン1ブログ.jpg

ボルダリングもあって孫は初挑戦。
ボルダリングweb.jpg

夜はカラオケが孫たちの定番のようです。
カラオケ1 ブログ.jpg

私も歌わされましたが、
「ジョニーの子守歌」、「津軽海峡冬与景色」では30年進歩がありません。
でも、孫たちとの楽しい2泊3日の旅でした。

これから新ソフト「Corel PaintShop Pro 」を
もう少し使えるようにしてブログの更新に努めたいと思います。




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でっかいトイレットペーパー

初めてリバプールを訪問したのは、2004年。
ジョンが通った学校(Liverpool College of Art)の近くにあるので
英国国教会リバプール大聖堂に行ってみました。
[コピーライト]GoogleEarth
リバプール国教会web.jpg

そこで大聖堂で荘厳な気持ちになったあと
トイレに寄って仰天!思わずカメラを取り出し人目を気にしながら撮ったのが、これです。
国教会トイレのロール紙web.jpg

日本人には容易に使いこなせないものでした。
英国人と日本人との体格の違い?

リバプールの名前を聞いて思い出す言葉は、
もちろんビートルズ。
そしてこの4人にとっても身近な場所です。

この大聖堂にはこれまで2回行きましたが、
ほかビートルズゆかりの場所とは異なる別格?でとても印象的なところでした。





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今どきの授業参観

娘に誘われ、
連れと二人で上の孫(小2)の授業参観に行ってきました。
「オープンハウス」で1限から5限までどれをのぞいてもいいそうです。
給食の様子も見学可とか。

私たちは、3限の体育から給食終了までを見てきました。
教室の後ろはいっぱいでしたので、廊下から気配をのぞきます。
授業参観1.jpg

教室の一番後の孫の目と偶然あってしまい苦笑い(一番手前の男の子)。
後で聞いたら、ちょっと横を向いたらジジがいたのでビックリ、とのこと。

私も小さいとき授業参観があると母親を探したのですが、
商売(風呂屋)をしていましたので、母はなかなか来られず、
たまに来てもちょっと私と目が合うと、すぐに帰って行きました。
それでもうれしかった思い出があります。

教室の廊下に孫の作品?が・
授業参観7.jpg

さて3限目は、3クラスある2年生全員での体育の時間。
校庭は風が強くときどき砂埃が立っておりました。

連れの視線が孫を追っています。
授業参観6.jpg

この日はお天気でよかったのですが、みんな暑そう・・。
3クラス合同ゆえ、私は孫がどこにいるのかわかりません。
授業参観3.jpg

参観の父母、ジジババたち。
お父さんは遠くの方にいますが、群れていません。
お母さんと子ども(妹・弟)たちは、
こうしてグランドの我が子は見ずにおしゃべりに夢中です。
2極化していました。
授業参観2.jpg

給食の時間になりました。
今日のメインはカレーです。
贔屓目に見ても、お味はどうなんでしょう?
授業参観8.jpg
授業参観5.jpg

給食当番が各容器に入れるのですが、仕方ないのですが、要領が悪い?・・・。
手際が良くないというか、盛り付けと配膳のバランスが気になって。
各人にトレイを運ぶのですが、
今どきの先生は、何も言わないのですね。

各児童の自主性?に任せているので、全員に行き渡るだけで15分かかっています。
そしてようやく、「いただきます~!」
授業参観4.jpg

嫌いなものは「お戻し」といって
予め先生に宣言して、元のところへ戻せるらしく、
孫は嫌いなもの(ほうれん草、メロン)を返していました。

食べている間、下の孫はお友達と廊下で遊んでいます。
授業参観15web.jpg

彼女も来春には1年生。
きっとジジもババも授業参観には行くからね。

こうしたチャンスがあることに感謝!です。


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越後高田藩 江戸藩邸物語(下)

今回で最後の越後高田藩 江戸藩邸の暮らしぶりです。

■藩邸での生活

上屋敷の周囲は、士分以上のものが住む二階建て瓦葺きの表長屋で囲まれ、
建築仕上げ面から見た場合、塀下部は海鼠塀(なまこべい)、
上部が塗塀で、まだお客様は連子窓(れんしまど)であり、
道路と屋敷の境の役割を果たす堅固なものでした。
上屋敷御殿の構造は、
江戸城本丸御殿とほぼ同様の構成で、表・中奥・奥の三つです。

表は、江戸における藩政を行う場所であり、
江戸家老以下の家臣が政務を行う場所でした。
また、屋敷は来客対応を行う御広間、黒書院、小書院や
上屋敷居住全員の食事をつくる大台所などが配置されていました。

中奥は、お殿様(藩主)起居の場所で、
政務を行う御座(ござ)の間、寝室である御寝(ぎょしん)の間や
浴室、雪隠(トイレ)等がありました。
奥は、江戸定住の正室や子女が生活する場です。
江戸城では「大奥」と呼ばれる空間ですが、
上屋敷にあっては奥向(おくむき)、
奥御殿と呼ばれ、中奥から奥への出入りは藩主以外の男子は禁制でした。

■藩邸の要、お留守役は極めて重責

各藩が江戸に藩邸を設け、機能させるとき、
もっとも大切な役職は、「お留守役」でした。
いわば、各大名の渉外担当官のようなもので、
江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩のあらゆる交渉に関わる事務仕事を担当するとともに、
幕藩政治の情報収集を行っていました。

幕府からの命令を藩主に代わり拝命することもあるので、「公儀人」とも
「御城人」とも呼ばれていました。また他藩との交渉事や情報収集・交換も行うので
「聞番(ききばん)」・「聞役(ききやく)」とも称されていました

榊原時代のこの役は、歴代39名に及び、
最長は第一代の鳥居弥惣兵衛陳盛の亨保5年(1720年)から
延亨2年(1745年)の間の25年間でした。

この職は極めて重要で、
もっとも信頼されている家中から選ばれ、
藩主の信頼を必要としていただけに、異例の長期にわたったものと思われます。

このような江戸留守役は、藩主が登城する際には供をし、
最近の情勢や他藩の状況などを遺漏なきよう藩主に伝え、
また藩主が将軍拝謁などの間に、控えの間に控えながらも御城坊主や
他藩江戸留守役とも情報交換を行っていました。

江戸中期には、
江戸城中における大名の控えの間を同じくする留守居役からなる「同席組合」までありまた。

このような江戸城での公の時間のほか、
幕府役人と積極的に接触し、
ある時は料理茶屋などに招き、幕府中枢の考え方、緒法令の
事前入手に腐心しています。
これら一連の諸活動は、日本のビジネス・行政シーンの中で現在も変わっていないと言えましょう。

■藩邸・武家屋敷の崩壊

江戸の町も大政奉還・明治維新とともに急激に衰退していきます。
武士達は、失業者となりあるいは家族共々田舎に帰り、
商人達も商売先の武士階級の消滅により店をたたんで去って行きました。

朽ち果てた武家屋敷web.jpg

江戸市中7割を占めていた
荘厳華麗な藩邸・武家屋敷に人気がなくなり、
まるで抜け殻のような「武士の都市」は、
江戸が東京と名前が変わってもしばらくはそのままでした。

「都市の再生」にはまだまだほど遠く、
広大な各藩藩邸や武家屋敷が取り壊され、その跡を畑にする光景が見られたといいます。

現在の丸の内ビジネス街が誕生するきっかけとなったのは、
そのあと明治23年(1890)、
現在の三菱地所が政府から丸の内の土地を払い下げられたことによるものですが、
計画の基本は
藩邸や武家屋敷の敷地割りが大きく影響したとされています。

東京・丸の内東京駅西側の移り変わりの地図を見つけました(一部)by Yahoo!
丸の内江戸後期web.jpg

丸の内委明治初期web.jpg

丸の内現代web.jpg

丸の内の整然とした街区には、
徳川家康江戸開府(1603年)から400年の歴史があることを考えると
信号待ちで立ち止まる風景もちょっといままでとは違ってくるでしょう。

わが殿様(榊原 政敬)は
明治2年(1869年)の版籍奉還で高田藩知事となり、
明治4年(1871年)の廃藩置県により免官され、子爵となられました。

雑ぱくなまとめでしたが、
これで「越後高田藩江戸藩邸物語」は終わりです。












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越後高田藩 江戸藩邸物語(中)

前回の続きです。
私の故郷・越後高田藩の榊原家時代のお話です。

■江戸詰め藩士は530人

これは江戸時代の高田藩藩主の年表です。
前回も含め主な時代は最後の榊原家について述べています。
ちなみに最初のお殿様は、
家康六男松平忠輝で夫人は伊達政宗の娘、いろは姫です。
高田藩歴代藩主.jpg

寛延元年(1748)の記録では、
その高田から江戸藩邸に詰めていた藩士の数は、
高田藩の総勢2,150人の約四分の一に当たる530人で、
知行取(奉行等の高禄者)48人、
扶持方・切符取(目付・奉行補佐などの中堅者)148人、足軽(代など緒役に付く徒同心)55人、
中間類279人(奉行などの配下にあって雑事の処理者)でした。

こうした江戸における藩士の内訳が分かる資料として、「分限帳」の存在があります。
江戸役録帳(文久2年1862年)には、
中老から奥女中、そしてお抱え商人に至るまで、数百人もの名前が
それぞれの仕事と扶持の内容を含め、詳細に記録されています。  
興味を引くのは、医師はもとより、神主、僧侶、能役者の名前があることで、
まさに国許の高田藩をそのまま少しだけ縮小して小川町上屋敷に持ってきたような、
藩邸のにぎわいを感じ取れます。

■多忙な藩主

近世の大名は、
時々は国許に帰りましたが、ほぼ一生の大半を江戸で過ごしました。
江戸で暮らす藩主は、
将軍を頂点とする堅固な幕藩体制のもとで、決められたしきたり通りの生活をしていました。
公務としては、年中行事や儀礼、月並みの登城などがあり、
幕府への義務を果たすため、結構多忙でした。
もちろん、藩主としての藩掌握・統治も国家老を通じて行わなければなりません。
また来客応対もあり、藩主自ら対面する儀礼も多かったようです。

江戸名所図絵-元旦諸侯登城之図web.jpg

豊後国臼杵藩5万石の記録「臼杵藩奥日記」は、
延べ120年にわたり、江戸での藩邸生活の記録を残しています。
この記録では、五節句及び月並登城が年に35回、
将軍家の菩提寺のある上野・寛永寺や芝・増上寺への参詣が年に10回、
このほか日光御門主様、御三家、御一門の年礼が加わります。

高田藩をはじめ、他藩大名たちの日々の生活も、
ほぼ同様であったでしょうから、お殿様はお忙しかったと思います。
もちろん、
その段取りを行う江戸家老ほか役職者は、もっと忙しく、
何だかいまの会社や役所のありさまそのままであることがおもしろいと思いました。

広大な江戸城をテーマにした
浅田次郎「黒書院の六兵衛」(上下・文春文庫)は
幕末期、各藩のお殿様が、
どのように江戸城に詰めていたかを理解するのに役立ちました。
黒書院上.jpg黒書院下.jpg

続く

(参考)
越後高田藩にまつわることで
「参勤交代」については過去に以下を二つをアップしました。
お時間があればあわせてご覧下さい。

「超高速!参勤交代」 越後高田藩の場合 その1
http://chizunoko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-17

「超高速!参勤交代」 越後高田藩の場合 その2
http://chizunoko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-22



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越後高田藩 江戸藩邸物語(上)

今回から江戸時代の
武家屋敷のお話(全3回ですが途中間が開くのでご容赦を)です。
(この元になっているのは
10数年前、私が母校の校友会会報用に作成した原稿で
今回読み直して多少手を加えました。)

江戸時代、全国のお殿様三百諸侯が
江戸に東京本社?のような藩邸を構えさせられ家族と暮らし、
関東地区の大名は概ね半年に一度、それ以外は1年で国元と往復していました。

かれこれ20年前くらいでしたでしょうか、。
社内で都市計画の専門家から
「日本には巨大な都市計画の実績が300年以上前からあった」
と聞いてから江戸の成り立ちに興味を持って調べ始めました。

都市計画では、
全体計画(Grand Plan)を考えるために
その土地、江戸城ならば関東の自然(特に河川)を調査し、
コンセプトを定め、土の切り盛り、河川付け替えといった
いまでも通じる手順を踏んでいきます。

天正18年(1590)8月、駿府(静岡)から江戸に移封された家康は、
この土地を知って一瞬どうするかと考えたと思います。
太田道灌の小さな城はあったものの、
あたり一面幾本もの川と海に接した湿地帯のような広大な土地でした。

下のイラストは開発着手前のイメージ(草思社「江戸の町 上」8,9頁)。
edokaihatumae.jpg

家康の城下町建設は
戦国時代末期の戦時下ゆえ、とにかく城まわりの整備が急務でした。

この江戸の街建設の話は、
とてもおもしろいのですが別の機会にご覧いただき、
今日は、私の田舎のお殿様、越後高田藩榊原家のお話です。

■江戸市街地の35%を占めた大名屋敷

江戸初期、三百諸侯と言われた大名は、幕府から拝領した藩邸を持ち、
旗本もまた、禄高に応じて江戸城を囲むかたちで屋敷が与えられていました。
慶長8年(1603)から寛永6年(1639)の江戸初期は、
大名屋敷が最も多い時代で、大手町・丸の内・有楽町(千代田区)の地域と
愛宕下(港区)の二か所に、いわゆる「大名小路」がつくられました。

これらの地域のほとんどは、日比谷入江といわれた海辺にあり、
大名達は屋敷を拝領したとはいえ、自ら埋め立てなければ敷地を確保出来ませんでした。
結果として、
各藩江戸屋敷の造成が、江戸の町を形成する都市計画大きな原動力になりました。

明治3年の東京府の調査によると、
江戸市街の面積1,656万4千坪のうち、武家屋敷が1,156万坪(70%)、
寺社地258万坪(16%)、町地233万坪(14%)でした。
実に7割を占めるこの武家地中、
大名屋敷の面積は約580万坪であったので、江戸市街の35%が大名屋敷であったといえるでしょう。
江戸町割.jpg

■越後高田藩江戸藩邸の様子

まず、一般的な解説です。
大名の屋敷には、上屋敷、中屋敷、下屋敷の3種類があります
上屋敷は、各藩の江戸における拠点としてのすべての機能を持っています。
そこは藩主の本邸でもあり、藩主と妻子が住む御殿を中心として、
藩士の住まう長屋、諸々の役所、倉庫、学問所、武道場、中間部屋などで構成されています。
いわば、各藩の「本社」機能が、
そっくり江戸に設けられた、「江戸本社」のようでした。

下の写真は越後村上藩上屋敷
(高田藩邸は江戸東京博物館でも探しましたが画像は見つからず)。
大名屋敷外観(越後村上藩内藤家)web.jpg

加賀・前田藩のような
大藩で5,000~6,000人程度、また小藩でも500~600人が詰めていました。
中屋敷・下屋敷は、上屋敷とは意味合いが異なります。
ここは災害時の予備機能を果たす役割があり、下屋敷は藩主の保養所・休息所でもありました。
華麗な藩邸例(江戸東京博物館)1web.jpg
↑江戸東京博物館「華麗な藩邸例」
江戸の町並みweb.jpg
↑幕末期の江戸の町(江戸東京博物館)

さて、
越後高田藩・榊原式部大輔正愛(15万石)時代の上屋敷は、西丸下大名小路、
現在の神田神保町、小学館近くにありました。
安政三年(1856)当時の切絵図によると、
向かい側には上野安中藩 板倉伊予守勝明(3万石)、
西通りを隔てて寺社奉行 丹波亀山藩 松平豊前守信義(5万石)、
また裏手には
高家大沢左京太夫(3,556石)、御普請奉行石谷因幡守(2,500石)の邸宅がありました。

越後の各大名屋敷の配置図です。
越後諸大名上屋敷(明暦3年)web.png

享和二年(1802)の記録によれば、
高田藩には、拝領上屋敷として、神田・小川町 7,050坪(13,365㎡)、
拝領下屋敷、下谷・池之端18,250坪(60,225㎡)余、
永御預地 神田・小川町 173坪余(上屋敷北方地続き)、借地 小石川御門ほか 500坪、
御領預地 一ツ橋御門ほか 4,094坪(13,510㎡)余 (政令の隠居屋敷は、文政年間以降)があった
と記録されています。その合計は、3万坪にもなります。

下図の青い星マークが越後高田藩榊原家上屋敷。
榊原家上屋敷web.jpg

ところで、
現在の東京大学は加賀藩の上屋敷跡です。
加賀藩邸北側は水戸藩中屋敷、
そして南東側には、
越後高田藩の榊原式部大輔の中屋敷18,251坪(約60,000㎡)がありました。
その東は不忍池に隣接し、上野の山へと続いていました。         
池波正太郎の「人切り半次郎」に、
「おいどんも、ついに大名屋敷へ住むことになった」と陸軍少将桐野利秋が感動して
言うところが出てきますが、この大名屋敷は榊原の中屋敷であると、池波は後に語っています。
この屋敷は、明治に入って三菱財閥の岩崎邸となりました。


続く





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「テレビでネット動画」を読んで

先日の朝刊に、
テレビでネット動画を見る人が増えた、との記事。
amazonnet動画20170614.jpg

「あっ、そういえば
私もハード(ファイアTVスティック)を持っている・・・」と思い出しました。
半年近く前、
衝動買いして、開封もせずそのままにしていたものです。
amazon1.jpg

連れが出かけていないうちに開封してテレビに接続
(我が家の無線LANにアクセスするのが結構これが手間でした)。
TV側のHDMIに接続し、TVの表示画面を切り替えます。
amazon2.jpg

2015年秋に始まったプライム・ビデオのサービス(有料)ですが、
作品数は9千本に近いとか・・・。
amazon3.jpg

音声入力のリモコンもセットですので、
さっそく私の大好きな映画があるかチェック・・・。

ありました。
amazon4.jpgamazon5.jpg

これはいいなと、ちょうど帰って来た連れに言ったのですが、
「あなた映画も観たでしょう?DVDも借りたでしょう?まだ観るの?」。
実は内緒でこのプレミアムDVD(2枚組 メーキング入り)も手にしています。

失敗でした。連れの好きそうなタイトルでプレゼンすればよかった・・・・。

このほかYouTube閲覧の画面もありました。
amazon6.jpgamazon7.jpg

わくわくする魅力があるのですが、
二つ問題が・・・・。

その1 ずっと見ていられない(連れもおりますので)
その2 年金生活ゆえ、無駄を省くために近い将来、会員退会か。

こう考えますと、
いまは刹那的な快楽?の時間を享受するだけのようで・・・。

もっと外に出なければ・・・。
このところ体重微増の傾向。歩数も7千歩超えられない・・・・。




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ベランダからの風景

先月から
家の南面で戸建ての工事が始まりました。

元建設会社員ゆえ、
近隣住民としての騒音・振動の問題は、ひとまず棚に上げて
どうしても工事の様子をベランダから興味深く眺めてしまいます。

工事中2.jpg

この工事、地元の業者さんが開発し建設・分譲するものです。
私たちが今のところに引っ越してきて30年近く更地だったのが
4月に突然業者さんが挨拶に来られ、造成がやかましく始まり、
その敷地の広さから、たぶん3軒くらいがやっとこかな、
と思っていたら、予想を超え4軒も。

スクエアな地形(ジガタ)ですので、
図面は引きやすいと思ったのですが、ここに4軒分入れるには、かなり知恵が必要です。
当然のことながら、
開発側も施工・販売側も利益を確保して
買えそうな価格内での販売、やはり専門業者ならではのソロバンをはじきます。

Plan1.jpg
Plan2.jpg

連れは工事が南面に近いため、
完成すると我が家の日照がかなり減ると嘆いておりました。
しかし、
建築基準法上ではまったく問題ないようです(第二種中高層住居専用地域)。
その理由を連れにわかりやすく説明したところ、
「大変なことなのに、他人事のように話す!」、と叱られました。
元同業者ゆえ、どうしてもそういうように話してしまいます。

20年前に
我が家の東面に大きなマンションが計画され、建設されました。
隣家は日照半減、我が家の東面はふさがれ日照なし状態となります。
そこで近隣住民として
設計事務所と販売先にいろいろ問い合わせをしました。
ま、私も同業者ゆえ
社内の設計や環境、技術研究所の友人たちにいろいろアドバイスしてもらい、
当初の計画を本の少しだけ見直してもらいました。

隣に建造物が出来ると、
日照問題のほかに生活音(生活していく上でいろいろ発生する音)を
どうそれらを許容するかなどが出てきます。
※感じ方は、近隣とのコミュニケーションの度合いにもよるとの研究もあり。

いつもの計画・設計・施工する側から、
近隣住民という「真逆の立場」になりました。
「型枠解体やコンクリート打設などに出る音は
有期限なんだから仕方ないよ」、というものですから、
当時連れには
「あなた、仕事じゃなくて近隣住民なんだから、もっと・・・」、言われましたね。

余談ですが、
竣工後、このマンションを施工した所長さんから
「これまでで、こんなに理解のある近隣の方に会ったことがありません。
ご主人(私のこと)がご同業でよかったです。ありがとうございました。」
と言われ、ちょっと複雑な思いをしました。

さてさて、横道にそれてしまいました。
工事の話の続きです。

ベランダから毎日眺める景色ですが、
まもなく屋根ができて、
少なからず我が家に影響を及ぼす日照を予測しながらも、
職人さんたちのきびきびした動きが気持ちいい?・・・。
20170606.jpg


資材の搬入から職人さんたちの連係プレイに無駄がありません。
自分のやる仕事と責任が見える、
仲間との連携か欠かせないことがカタチと時間でわかる・・・・。
こういうことを体得しているからできるのでしょうね。

それにしても
この敷地に4棟建てるのは、やはりノウハウが必要だと感じました。
もちろん、いろいろな制限の中での計画ですが、
建てる側のほかに、購入されお住まいになる側にも
入居されてからの暮らしの工夫が必要だと感じます。

夏のはじめには完成予定のようです。

拙宅はこの夏で29年目を迎えます。
当時、東、南、西側には家は建っておりません、
風通しよく、一日中日が射していたような記憶があります。

「人類の歴史は、環境への順応」?だなんて
大上段にはもうしませんが、残された時間をストレスなく過ごします。





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Ginza 6 初見参!

1年ぶりに連れと銀座へまいりました。
このところ、
私の誕生日前後に銀座に行くのが恒例になりました。

今回の目的は、最近オ-プンした「GINZA 6」見物。
Ginza6.jpg

大きな吹き抜け空間には、どど~んと前衛芸術家・草間 彌生さんの作品が。
これは大迫力で、エスカレータで上下して行くたびに見え方が変わって楽しめます。
巨大構造物の吹き抜けと言えば、「新宿NSビル」(新宿区西新宿)が一番ですね。
※私、工事中から見学に行っておりました(仕事)。
Ginza6-2.jpg

幾多のテナントも連れは知っていましたが、私にはさっぱり?でした。
驚いたのは1箇所。その場でオーダードレスを仕上げるという店。
標準で16万と18万円(背の高さ=生地の多さ?)だそうで、思わず立ち止まりました。
店があるということは、注文があり需要があると言うことですね。

おすすめは、13Fの上の屋上庭園「GINZA SIX ガーデン」(4,000㎡)です。
お天気も良かったので、ぐるぐるっと回遊しました。
親子で楽しんでいたのは、水遊びが出来る池?、うちの孫たちも喜びそう・・・・。
Ginza6-3.jpg
Ginzaa6-4.jpg
Ginza6-5.jpg

ここには、
旧松坂屋銀座店屋上にあった靍護稲荷神社がかわいらしく祀られていました。
文化12年(1815)台東区根岸に、昭和4年(1929)に遷座されたそうです。
Ginza6-7.jpg

私、素通りできない質なので、しっかりお参りいたしました。
Ginza6-8.jpgGinza6-9.jpg

このGinza6 には240以上のお店があり、
連れは帰る前にどうしても行ってみたいというお店に。
お茶屋さんですが、お茶を飲むのに50人待ち・・・。
やむなく、同店のお菓子を15分!並んで買い求め、家に帰りました。

折しも週末ゆえ銀座は「歩行者天国」。
私が会社に入った翌年の昭和45年(1970)から始まり、初体験。
47年も前のことですね。
歩行者天国2.jpg
歩行者天国1.jpg

銀座・数寄屋橋あたりは
むかしのイメージがどんどんなくなりました
(「君の名は」はアニメではなく、映画真知子と春樹の世界。わかるかなぁ~)。

年々歳々花相似(年々歳々、花相い似たり)
歳々年々人不同(歳々年々、人同じからず)

来年の72歳誕生日には 連れとどこへ行けますか・・・・。


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本は読んだが 悟れない・・・・

中国古代史なら
「白髪三千丈」とか表される高齢者になってしまい、
私、死ぬのが怖い?ので、その解を得るため
いろいろな本を乱読したのですが・・・・。

本1.jpg
本2.jpg
本3.jpg

悟りの境地、までには至りませんでした。

ただ思うのは、
「自分は 一生懸命に生きたか?」
「命を 次世代につなげたか?」
「美しく 暮らしたか?」の3点ではないかということでした。

人は 持って生まれた資質のほかに
できることを増やす持続させる努力と
その中で得るチャンスと
人の愛憎の中でもまれても 
何とか 真ん中を歩くジャイロの機能が必要なのでは?

もちろんお金はあったほうがいいし、
幸せの半分以上はお金で買える、とか聞いたことがあります。

これまでの71年、これからの数年ですが
先ほどの3つの問いを投げかけたとき
(満足点の設定は難しいけれど)
おおむね、
うつむくことにはならない自信(選択肢なし)はできたようです。

最後の「美しく 暮らしたのか?」は、
小椋佳の「美しい暮らし」の曲からいただいたものですが

「真顔して 背負うには 重すぎる 人生に
時に 容易(たやす)い 幸せに 寄りかかる
解けぬまま 人生を 終わろうと する時も
せめて 言いたい 美しく 暮らしたと・・・」


まぁ、あせって悟る必要もないので、
その時が来たら、
「これで いいのだ!」(天才バカボン)とだけは、つぶやきます。


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顔 変わる いつの間にやら ジジさまに

何となくそろそろ自分を総括せねば、と思うようになり、
デジタルデータの整理を始めたところです。
そんな中で、ひとつのテーマ。

私の顔はどのように変わっていったのか・・・・。
※連れにばれたら、バカなことを!、言われること必定、ご内密に。

小さいときの写真は、ほとんどありませんで、
中学の卒業写真から1,2年前までの私の顔を切り抜いて見ました。

中学1,2年まではメガネなし、でしたが
勉強しないのに、近視になって3年の頃にメガネ顔。

face1-web.jpg

会社に入っても、しばらくは童顔?のままでしたが、
やはり45歳くらいを境にしてガラリと変わります。

face2-web.jpg

50半ばからは、ほとんど変わりません。
白髪が多くなった、ほうれい線が深く、小じわ、シミなども目立ちますが、
まぁ一般的な「加齢顔」でしょう・・・。
若いときから、床屋さんに「、あなたは禿げない」、とのお言葉を賜れど、
このところ、すっかり透けてきました。

さて、これからどうなるか・・・?

テレビに出てくる人たちの年齢とお姿をついつい見比べながら、
口には出せませんが、勝った?、とか負けた?とかつぶやいています。

先日71歳の誕生日を迎えてしまったせいでしょうねぇ~。

見てくれではなく
現状を維持することと、縮み度が増す脳の衰え防止に努めねば・・・・。
もちろん、逝くまで好奇心を失わない心の若さも保ちたい。

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Love & Peace

このブログも11年目に入っています。
タイトルを「Love & Peace」にしたのは、
当時ジョン・レノン・ ミュージアムで仕事をしていたから・・・。

ミュージアムの認知度向上の一助にも、
と当初は考えたのですが、いろいろな制約があって、
何かの商売の店長さんという想定設定で・・・。

で、閉館してからようやく館名を書けるようになりました。

もちろん、いまもたくさんの制限がありますので
私が撮ったご覧に入れたい画像とかミュージアムのエピソードは
残念ながら、私の独り占め??となってしまいます
(私が逝ってしまうまでダメかも)。

先日身辺を片付けていましたら、こんな資料が出てまいりました。

from-Toko-Ono-2007.jpg

これは彼女が
2007年にアイスランドのレイキャビックのビーズエイ島で行った
「イマジン ピース・タワー」イベント後に送られてきたものです。
カードには直筆で「Mさんへ・・・」とあります。

このイベントは
2007年10月9日、ジョンの67回目の誕生日に行なわれた光のタワー除幕式です。
毎年、10月9日(ジョンの誕生日)から12月8日(ジョンの命日)まで点灯されています。
私、この点灯式イベントに参加したのです。
成田からアイスランド・レイキャビックまで。心細かったですね。
(公式HPより)
Imagine-Peace-Tower.jpg

以下は私が撮った画像です。
レイキャビック2.jpgレイキャビック1.jpg
↑イベント終了のパーティでの私(タキシードなし?)

レイキャビック5.jpg
↑イベントに参加したリンゴ。スマホの画面を見ていました。6つ年上ですので、やはり老眼のよう。
レイキャビック7.jpg
レイキャビック3.jpg
↑点灯式に参加した方々。リンゴとジョージ夫人オリヴィアさんの姿も。

レイキャビック4.jpg
レイキャビック6.jpg
↑10月とは言え、アイスランドは真冬です。北緯64度8分ですから。

レイキャビック8.jpg
↑アイスランドの首都、レイキャビック。人口約12万3千人のキレイでステキな街でした。

1969年(私が入社した年!)7月にジョンのソロ・デビュー曲
「平和を我等に」(Give Peace a Chance)は、反戦運動のうねりの中で拡散していきます。
「Love & Peace」この言葉が知られるようになったのはこれ以降だったのでしょう。

YouTubeから引用させていただいた曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=RkZC7sqImaM

私はこの曲を聴くと
かつてのミュージアム4階、「NewYork」ゾーンの映像と展示物を思い出してしまいます。
7年半もの間、ほとんど毎日(巡回中)聞こえていたのですものね・・・。

話しが広がりすぎてしまいましたね。

いつか可能な範囲で
「Love & Peace」に話を戻し、いろいろお話しが出来たら、と思います。

私達も結婚して45年。
そのコンセプト?は、
振り返れば、まさに「Love & Peace」であったことは、言うまでもありません。

「これまでも」、そして「これからも」、ですね。


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ばね指、二度あることは三度ある?

半月ほど前から
右手の中指の付け根にどうも違和感がある・・・・。
左手の指で触れると腫れています。

半年前には、
その部分があまりに痛く、近く(車で7分)の整形外科に行きました。
そして、ステロイド注射でしのいだのですが、また再発か???

先日から朝起きたとき、スムーズに曲がらなく、
中指の先を持ってぐっと押すと痛みを伴い、ようやく90%伸びます。
毎朝こうならないようテーピングテープを買ってきて
寝る前に中指を巻くようになりました。

これは疑いもなく「ばね指」の症状!
私はもうこれまで
左手中指(13年前)と左手(7年前)の2回も手術を経験していますので、
よくわかります。

下の写真は
10年前と7,8年前の左手人差し指と中指の手術跡。
ばね指左 手術跡1.jpg

右手中指は
昨年9月症状が出たので地元の整形外科で注射をしてもらいましたが、
このところ同じような症状が出て・・・・。

ならば、
あれから8ヶ月後の再診と、連れに車で連れて行ってもらいました。
開店?40分前でしたが、ドアの前に13人。
私よりはるかに年長に見えるジジ様ババさまがお並びです。
今日は晴れてちょうどよい気温でしたからいいのですが、
雨・風の早朝はどうするのでしょうか。

先生曰く、
「そうですか。また出てきましたか・・・」といいながら
右手中指の付け根を軽く押していきます。

口には出しませんが、「痛~い!」です。

「今日は、注射にしましょう」

「ケナコルト(ステロイド)」と局所麻酔「リカドイン」の複合注射、
強烈に痛い注射で,針の先が腱鞘の中をまさぐられるような痛みです。
指し終わるのに約5分くらいですが、
その時間の長さと痛さは、言葉で表現しようがありません。
ばね指右 注射1.jpg

この注射、
炎症抑制の持続効果が極めて強く、絶大な効果を発揮すると解説されています。
ばね指右 注射2.jpg

直後は、中指の指先までジ~ンとしていましたが
こうして半日経つとそれは消え、でも曲げると違和感があり、痛い・・・・。

時々右手中指を平らなところへ押しつけ、
左手で上から圧を加え伸ばします。
こうしないとまた曲がるような恐怖?が・・・・。
先生もそうやりなさいと言われたので、さっきからやっています。
あぁ、これも加齢により、何でしょうか。

パソコンをやり過ぎるのが原因のひとつのようで、
仕事をしていいるどうしても指を使ってしまいます。

しばらくは、様子見で
今度同じ症状が出たら、仕事もそろそろ辞めどきなのかも・・・・。
それで、根本的には手術なのでしょうね。

よせばいいのに、
youtubeで「ばね指手術」の映像を検索して、しっかり見てしまいました。
手術としては、さほど難しくはないレベルですが、
何せ、ばね指でも2回も手術を経験しているものですから、息を凝らして見た・・・。

「あぁ~、二度あることは三度ある」のでしょうねぇ・・・。






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ゴールデン ウィークのイベント

孫たちがやってきた
にぎやかな今年のゴールデンウィーク。

最大の目玉イベントは、
日本橋「高島屋」で開催の「かいけつゾロリ30周年記念展」見学と
ネットで予約した「日本橋クルーズ」の70分コースを体験すること。

怪傑ゾロリと日本橋クルーズS.jpg

会場は子供から大人まで大にぎわい。
30年前から続いているので、若い親たちも知っているわけですね。

ゾロリ展S.jpg

そのあと日本橋で記念撮影。
日本橋.jpg

時間を調整して、日本橋たもとの乗り場にまいります。
船は屋根付でトイレもあり、70分かけて運河や東京港を巡ります。
私も連れも、孫たちも初めての体験でした。

日本橋クルーズ1.jpg
日本橋クルーズ4.jpg

日本橋周辺の川の主な橋をくぐって、高層住宅群像を身近に見ながら
「アーバンドック ららぽーと」や豊洲方面に向かいます。
晴海では、数隻の客船も間近で見ることができました。
日本橋クルーズ3.jpg

船長兼ガイド氏が、
見えてきたこの施設について、名前を言わずに説明しました。
あまりにも知名度がありますし、この先どうなるのやら、と都民ではなくても心配です。
日本橋クルーズ5.jpg

船は、レインボウブリッジ手前で、折り返します。

この日のコースは、
日本橋船着場→日本橋川→豊海橋→隅田川→永代橋→隅田川支流→相生橋
→晴海運河→東京港→レインボーブリッジ遠望→
竹芝ふ頭→勝どき橋→佃大橋→豊海橋→日本橋川→日本橋船着場でちょうど70分でした。

日本橋クルーズ2.jpg

ふだん見ることのない場所を
下から見上げるのは、とてもおもしろく、みんな大喜びでした。






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誕生月に届くもの

5月は私の誕生月ですが、いろいろなものが郵送されてきます。
通販、保険など7,8通。

その中で、
以前は、なにこれ?と一蹴したものを、じっと眺めてしまいした。

チェック表解説 20170507.jpg

市内在住の65歳以上の高齢者(ああ、イヤだ・・)に
ふだんの生活機能を確認する、
つまり介護の必要の有無を確認するための書類です。

今回は妙に慎重に読みまして、
はたして私はどうなのか?、を考えながら、〇を囲みます。
市民生活機能チェック表-20170507.jpg

「今年も返送しなくて済みそうだ・・・・」。

10点以上あると、市役所に返送することが決まりのようです。

昨年と比べると、
さほど大きな変化はないと思ったのですが、
カテーテル検査を2度も受けるなど心肺機能は確実に低下しています。
15分以上歩けば、やはり心臓の存在を感じますし、
転倒はしなくても、よろけたことが1,2回。
日時は確認できるけど、昨日のディテールは完全には復元できない・・・・。
仕事は、週に2回は出るため電車には乗っていますが、
進んで遠出をしたいという意欲は最近減衰気味です。

これを「加齢により・・・」というのでしょうか?

これからは8項目全31の問いに
まじめに向きあい、自分をチェックして行かねば・・・・。
年々、「いいえ」と応えられる問いが減らないように、
まぁボチボチやるしかありません。

体力の衰えは仕方がないとしても、
最後の最後まで気力だけは保ちたいものです
(気力は体力の裏付けも必要ですがね)。



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私の心臓冠動脈

先般、大学病院での
心臓冠動脈カテーテル再検査入院(4泊5日)の結果説明を
病院で連れと一緒に聞きました。

その時先生が見せてくれたのは、
心臓の映像(動画)で、
年甲斐もなく、生まれて初めて見た「私の心臓」に感動しました。

「Mさん、ほらここの細いところが狭まっているでしょう?
これは裏側の方だからちょっと見えにくいけど・・・・。」
先生が動画を止めて画像を拡大します。

画面下には規則正しい心臓の波形が・・・・。
薄いグレーの本体(心臓)はドクドク波打っています。
その前に編み目のように見え太い、狭い血管が
造影剤でくっきりと見えます。
カテーテルが前に進み、末端の血管を映し出します。

最近、時々調子が悪くなるのは、細い複数本の血管狭窄が原因のようで、
病名を名付けるとしたら、「冠攣(かんれん)性狭心症」、とのこと。
万が一?のために、ニトロ錠も処方されています。

検査後、そのまま収監?される事態ではありませんでしたが、
これからも要注意!で暮らせねば・・・・。

帰りに手渡されたデータCDは動画でしたが、
ファイルの中にビューワがあったので、試しに自宅のパソコンで再生してみました。

その前に、
イメージをつかんでいただくため、
一般的な心臓の血管全体の画像をネットで見つけましたのでご覧下さい。
冠状動脈イメージS.jpg
[コピーライト]images

心臓には,
このように太・細の動脈・静脈が編み目のように張り巡らされているのですね。

以下は、その動画を切り取った私の心臓の静止画像です。

右手首から入ったカテーテルは、次第に私の心臓に近づき、
血管に造影剤を注ぎます。すると、このように撮れます。
1.jpg
2.jpg

画像下部には、心拍波形が見て取れます。
5.jpg
6.jpg
7.jpg
8.jpg

本当は実際の胸の鼓動?を動画でご覧に入れたかったのですが、
私の心臓を見ても、あまり・・・・・、で静止画に。

でも、すごく画像は鮮明でしたし、
私のいままさに動いている=生きていることを感じさせました。

ガンのときもそうでしたが、
医学のハード・ソフトの力はすごいですね。
また医師側にも、
こうした情報を読み取る卓越した力量が求められますね。
最後は「ひとの力」ということになる、のか・・・・。

連れを呼んで、
パソコンで再生して見せたのですが、いまいち反応は薄く、
「自分の体なんだから、ちゃんと管理してよね!!」、
の一言だけ。

おっしゃる通りであります。

今日やってくる孫たちにも見せたい、といったら
「なに考えているのよ!~」、と一蹴されました。

でも内緒ですが、
これも私の「デジタル遺産」のひとつに加えましょう・・・。


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龍馬の新婚旅行にあやかって?

この春、結婚45周年を迎えました。

この節目に、
私達がまだ行ったことのない鹿児島を旅しました。
(心臓冠動脈カテーテル再検査と
旅行の日程が微妙に被りそうになり、医師にお願いして辛うじて、回避)。

羽田から鹿児島空港に着いたのは15:30。

空港では、添乗員とバスガイドさんが到着口に待っていて
これからの旅程の説明を受けました。
ここで初めていっしょに旅する人たちの顔がわかります。
大型バス(トイレ付き)でグループは36人でした。

バス最前列には予定が掲示されています。
手書きなのがなんとも微笑ましい・・・。
1バス内掲示.jpg

ガイドさんに連れられて1日目の最初は、霧島神宮参拝。
高千穂峰中腹に鎮座される神様は、瓊々杵尊(ニニギノミコト)とのこと。
ガイドさんの説明は
神話の世界の予備知識がないとちょっとわからなかったです。

こういう団体旅行は久しぶりですが、
初めてのところは、こうして連れられていくのが楽でいいですね。
2霧島神宮1.jpg

この神社は、龍馬とおりょうが
日本で初めて新婚旅行をしたところとして伝えられています。
今日は私達のちょうど45周年の記念の日。これもご縁でありましょう。
3霧島2.jpg

ここでも恒例?のおみくじを。
「吉」と出まして、「病気(やまい)」は、「軽し 安心してよい」、
「争事」は「心穏やかにして吉」とのお告げでありました。
ガンや心臓のこれからも、まずは安心して向き合えますね。
霧島神宮のおみくじ.jpg

霧島温泉ホテルのベランダで。
後ろに吹き上がる温泉の湯煙が・・・。
ホテルは、アップグレードした期待を裏切られ、
連れとブチブチ言い合い。飲んで寝るだけの宿でしたら我慢できますが・・・・。
おふろは感激するほど良かったけど・・・・。
4霧島温泉ホテル.jpg

翌日は指宿へ向かいますが、その途中で地元で有名な黒酢店へ。
大きな黒酢の瓶が並んでいます。
5黒酢の瓶.jpg

あいにくと天気が悪く
途中立ち寄った目玉の桜島はまったく見えず、残念でした。

指宿に向かう途中で、
ゼネコン時代に仕事で見覚えのある施設のすぐ横を通り、感動しました。
世界最大の原油中継備蓄基地、「JX(旧日本石油)喜入石油基地」です。
PR誌に掲載したので、よく覚えています。
国内消費の約2週間分に相当する
原油735万klを貯蔵できる基地の建設を勤めていた会社が施工しました。
20170429SS00001.jpg
[コピーライト]GoogleEarth

この日の宿は、
「指宿いわさきホテル」で施工も同じ会社がやり、PR誌で紹介しておりました。
竣工は昭和47年9月、奇しくもちょうど私達が結婚した年でもあります。
なんというご縁なのでしょうか・・・・。

翌日3日目は、
もう帰る日ですが、鹿児島空港に行くまでにいろいろ立ち寄り見物。

これは、開運に御利益のあるとされる釜蓋神社。
お釜の蓋を頭に載せて願い事をし、落とさずに参拝できたら大願成就?とか。
8蓋釜神社2.jpg
9蓋神神社.jpg
私は落としませんでしたよ。

ここは、
日本最南端のJR九州指宿枕崎線の駅、「西大山」。
10最南端駅.jpg

路線図と時刻表です。
ご覧のように列車1本逃すと、半日?待たなければなりません。
11西大山駅路線図.jpg
12西大山駅時刻表.jpg

確かにこの駅に来たという「証明書」です。1枚500円でした。
12到着証明書1.jpg13到着証明書2.jpg

開聞岳が美しく見える「長崎鼻」という岬です。
14長崎鼻.jpg

最後に立ち寄ったところは、知覧の「特攻平和会館」です。

http://www.chiran-tokkou.jp/index.html

ここを見学できることが、今回のツアーの選択肢でもありました。
でも、展示物はあまりにインパクトが強く、
見学して10分もたたないうちに、流れ落ちる涙を堪えきれませんでした。

父母、兄弟、妻子、恋人宛てに遺した言葉の重みを感じるのは
私もそれなりの人生を経てきたからでしょう・・・。

いまからすれば、
考えられない環境の中で千人以上の若者が命を落とす運命でしたから・・・。

私の生まれた年が、「日本国憲法」発布の年でした。
展示室を周りながら「第九条 第一項」を思い出していました。
 
彼らの写真と手紙とを交互に見ながら、あっというまに集合時間となりました。

ここには、中高の生徒が大勢見学に来ていました。
15知覧1.jpg
16知覧2.jpg

歴史を史実としてきちんと伝え、残す大切さを感じました。

こうして2泊3日の鹿児島の旅は終わりました。

帰宅してから3日目に、
心臓冠動脈カテーテル再検査で大きな大学病院に4泊5日いたしました。
やはり旅の宿の方がいいです。



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2度目の心臓カテーテル検査入院

二度目の
心臓冠動脈カテーテル検査で入院し、昨日帰宅しました。
昨年秋に受けたときは二泊三日でしたが、
今回は病院の都合で何と四泊五日という長丁場。
それというのも検査日が月曜のため。
これは結構ツライです。
もともとせっかちで、じっとしていられない性分ゆえなお感じました。

この2ヶ月ほど、ちょっと長く歩いたり、階段を上がると
胸上部に押されるような違和感と喉の奥が少し熱くなるような感じでしたので
かかりつけ医に相談したら、
即刻地域の大学病院での検査受診を勧められました。

昨秋もやっているので
その画像データである程度はわかるはずでしたが
その大学病院では最初からやることに。
データの共有化が図れれば双方ムダが省けると思うのですが・・・。

ところで、いまは便利な世の中ゆえ、
その病院の手術数、死亡率を調べることが出来ます。

3年半前の食道ガンや大腸ガンのときは、
全国ベスト100ランク外の病院でしたの、で家族も心配しましたが、
こんどは大丈夫!?、全国でもトップクラス、
ステント挿入も心臓バイパス手術も死亡率も0%のようです。

何で気にするかと言いますと
私の心臓冠動脈のうち3本に50~75%の狭窄が見られ
狭心症、心筋梗塞のリスクがあるからです。進展していたら・・・。

とは言うものの、
大きな病気を短期間にいろいろ経験しましたので
不思議なくらい肝が据わっているというか、心に揺るぎはありません。

以下は、検査入院中のスナップです。

今回の病室は、
4人部屋の窓側で、数多くの入院経験で初めてでした。明るくて気持ちがいい。
ベッド.jpg

窓からは、東京スカイツリーが遠望できます。
見た瞬間思うことは、施工会社の名前。ゼネコン育ちゆえ仕方ありませんね。
東京スカイツリー遠景.jpg

翌日用の部屋の注意書き(マグネット)。
朝食なし、昼ご飯なしで、見ているだけでお腹が空きそうです。
ベッド脇の注意.jpg

毎回いろいろなことをノートに書き込んでいます。
ノート.jpgみつめる私.jpg

病院としては、まもなく71歳になる私は、正真正銘の「高齢者」。
看護師さんとの何気ない会話でそのことを改めて自覚し、若干気落ち。
ボーッとしている私、こうしてみるとやはり老け込んでいますね。
明るい洗面所の鏡でも老いを知りました。

初日は検査がありましたが、
2,3日目は特段予定なく身をもてあまし、
3時間だけ外出許可をいただきました。
バスに乗って駅前へ。
休日ゆえ街は人でいっぱいです。
コーヒー飲みたかったのですが、水、お茶以外禁止と言われていますので残念!。

検査前日の夕方、看護師さんが左右の腕にマーキングしていきました。
カテーテルを挿入するところを確認しながらの慎重な作業です。
左か右か・・・。
今回は、腿ではなく右腕からと言われ、ホッとしました。

内腿からですと
毛も剃る、トイレも歩いて行けないなど検査後の不自由さは腕と比べようもありません。
左手マーカー.jpg右手マーカー.jpg

これは検査室へ向かう直前に連れから撮ってもらった私。
笑顔をしていますが、やはりどこか緊張している・・・・。
検査直前の私.jpg

9時50分に検査室に入り、終わったのは10時半過ぎでした。
大体1時間前後と聞いていましたので、順調だったようです。

局所麻酔注射のときは、
ズシ~ンという痛みがありましたが、あとはそう痛みは感じません。
でも、だんだんと
心臓方面にカテーテルがと進んでいくという意識はあります。

検査室には医師、看護師など7,8人。
毎回感じる手際よさ、でしたが、ちょっと戸惑ったことがひとつ。
それは若手の医師が点滴をする際、
私の左腕の静脈血管を浮き出させようといろいろ試行するのですが、
「なかなか出てきません。うまくいかない・・・」と小さくつぶやいたこと。

すぐに検査の先生が、
回り込んできて、「ここ、ここだよ!」と指導?して、無事点滴開始。
↓病院HPで紹介されている検査室内部
心臓カテーテル室内部.jpg

検査は終了したのですが
何せ動脈に穴を開けたわけですので、しっかりと止血します。
これがその状態。
右手動脈止血.jpg

ふつうは6時間くらいの経過で徐々に空気を抜いてゆるめるのですが、
私の場合は血の気が多い?、血圧が高い?せいで
完全にはずされたのは、9時間後でした。これが一番辛かったですね。
左腕は点滴、右腕は止血帯でしたから・・・・。

この時期、
病院は医師も看護師さんもニューフェース研修中。
あっちでもこっちでも先輩が付きっきりで、血圧、血糖測定、点滴確認の指導しています。
その場でレクチャーしたり、廊下でとか。
その話の中で
「Mさん(私)の場合は・・・・」と言うような話に思わず聞き耳を立ててしまいます。

これは点滴にぶら下げられていた「注意」タグ。
新人向け注意喚起.jpg

少しずつ経験を積んで、患者にとって頼れる1人前になっていきます。

検査の結果は、緊急に手術というレベルではないようでした。
ただ、このところ感じていた違和感がどこから来るものなのかは、?とのこと。
しばらくは「経過観察」というのが今回の結論。

ホッとしたというか割り切れないというか複雑な感じですが、
ともあれ胸を開いての手術に至らなかったことが幸いでした。

入院中、
毎食500cal以下の食事で、入院前に比べ1,1kg減量。
これが最大の成果かも・・・。

今回も早め早めの処置が良かったようです。



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銀座ソニービルの思い出

銀座・数寄屋橋の「ソニービル」が
3月末日で閉館となり、来夏に「銀座ソニーパーク」としてオープン予定とか。

SN00091.jpg

会社が、ビルを施工したご縁で、
当時ゼネコンとしては珍しい企業PRのショールームがありました。
私は、1年生の頃、広報部門におりましたので
この展示模様替えも仕事でした。

銀座ソニービル建築中.jpgsony-bld.structure.jpg
(一度エレベータで最上階へ行き、そこからワンフロア毎に下りてくるという当時珍しい導線でした)

ビルを設計したのは、芦原義信さん。
駒沢公園体育館や東京芸術劇場などの設計者としても有名です。

私は、このビルに新入社員時代の思い出があります。

本社が銀座にありましたので
独身寮から銀座まで通っていましたが、
数寄屋橋や銀座4丁目のあたりは、越後の田舎町出身の私にとっては別世界。
行き交う女性もみな美しく、
立ち止まって見とれてしまいそうでした。

22歳の1年生が、手元、下働きとは言え
これが仕事になるとは想像も出来ませんでした。

そのショールームで働くアテンダントさんたちは
独身の私にとっては夢のような世界の女性たち。
ときどき本社来るので、部屋がとても華やいだ感じになりました
(いえいえ在席している女性もみないい方でしたが・・・)

ショールームの模様替えは徹夜仕事になります。
閉館してから装飾業者がフロアを養生し、解体。
それから2晩で完全に入れ替えますが、
各作業が終わるまで見ている?のが私の仕事でした。

あの頃は、みんないっしょに旅行とか宴会とか
会社の規模がまだ小さかったのと
社内ではちょっと変わった?部署だったこともあり、まとまりやすかった。

広報部-S47?s.jpg
電話機は、いまや博物館的な黒電話でした。
数十もの電話番号を記憶していましたね。いまは自宅とスマホの番号だけしか覚えていません。

広報部-S47-南総パラダイス-s.jpg
広報部-S47-南総パラダイス宴会-S.jpg

数寄屋橋交差点には、残像だけ。
上のような1,2年生のころの写真の中にも確かに私はいるけど、
瞬間的に切り取られた空間と時間の中の私に過ぎません・・・・。

う~ん、こう振り返ると、
自分の存在は客観的にみますと、ほんのわずかな粒子にすぎないなぁ~。
建築物(構造物)のほうが歴史を残していくみたい・・・。

(ソニービル建築概要)

所在地:東京都中央区銀座5-3-1
着工:1964年6月6日 竣工:1966年4月15日 
敷地面積:707.27㎡ 建築面積:686.39㎡ 延床面積:8,811.64㎡ 
高さ:地上31m、塔屋12m、地下 深さ24m 
構造:地上部分:鉄骨造、床:デッキプレート、軽量コンクリート
規模:地下5階、地上8階、塔屋3階
設計:芦原建築設計研究所 施工:大成建設(株)
   ※The Story of Sony Building 1966-1986より

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写真展で横浜へ 

先日、連れと一緒に横浜へまいりました。

横浜ユーラシア文化館で開催中の
「増田明久写真展 アジアの近代建築遺産」です。
横浜ユーラシア文化館 350.jpg
アジアの近代建築遺産1S.jpg

私、
横浜みなとみらい線にのったのはこの歳になって初めてですが、
路線図や時刻表を見ると,埼玉県所沢からも1本で来られるのですね。
自宅からここまで、3本乗り継ぎ2時間かかりました。

さて、
写真家 増田明久さんは、
日本の近代西洋建築また産業近代化遺産の分野ですごく有名な「先生」です。
朝日カルチャーセンターの講師や
いろいろな催しに招かれて「英国貴族の館」などのテーマで講演なさっています。

増田さんは私の会社の先輩で、
私が新入社員時代、
配属先の広報でカメラ(テヒニカ 4×5)撮影の手元として
レンズやフィルムの入った鞄持ち?などしたこともあります。
インドネシア・バンドン近くのチラタダム工事記録映画制作では
2度もお供をさせていただいた経験があります。

同じ部の方ですので、先生っていう感じではなかったのですが
こうして自分がリタイヤいたしますと、
増田さんという気軽な感じではなく、増田先生とお呼びするのが正しいような・・・・。

館内では、
中国での30年余撮影された近代建築遺産の姿を紹介していますが、
どれも私が若いときから親しんでいる?カチッとした作品ばかりでした。
懐かしい思いもありました。
アジアの近代建築遺産2S.jpg

新入社員時代
先輩に日大芸術学部写真学科の先輩が3名もおられ、
ずいぶん建築写真や映像制作については勉強させていただきました。
でも、これももう50年近く前になる話になるのですね・・・。

久しぶりにずっしりとした歴史ある建築写真が見られましたし、
次の時代に文化を残していく大事な仕事であることを改めて感じました。

帰りはこれも何十年ぶりの横浜中華街へ。
子供が小さい頃連れて来たことがありました。

連れもほとんど記憶がなく、
ちょうど昼時に重なり、ずいぶんウロウロしてようやく入れたお店。
揚州飯店.jpg

ランチメニューもピンキリで、
30分待っていちばんお安い1,280円のコースをお願いしました。
揚州飯店メニュー.jpg

中華街中のあふれんばかりの人混み・・・・。
田舎のネズミは、人が多いところは苦手です。
帰りは、関内駅から乗り換えずにすむ電車に乗って、ひたすら北上・・・・。

連れも私もいささか疲れましたが、
JR民営化の記念日に、いい「小さな旅」?をしました。




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東京名所 かっぱ橋へ

天気のよい日の朝。
連れから。「かっぱ橋へ行こうか?」とのお誘い。

上野駅から地下鉄に乗り換え初めて訪ねました。

最近テレビの番組で外国人が多いと聞いていましたので
連れも興味があったようです。

有名な通りに向かう前に仏壇屋さんが多いのに気がつきまして
かっぱ橋の帰りに見て回りました(将来我々用にと)。
古そうな仏壇屋-20170225.jpg

浅草寺起源
浅草寺いわれ20170225.jpg

通りは見物客?でいっぱいでした。
かっぱ橋のにぎわい1.jpg
かっぱ橋のにぎわい2.jpg

これが有名なニイミ洋食器店のコック帽子のおじさん看板。
かっぱ橋のシンボル-20170225.jpg

ちょうど昼時になりましたが、
いろいろ探してもランチを食べるところが見つかりません。
ようやく見つけたのは、甘い物屋さんで、ランチメニューがありました。
ランチ 20170225.jpg

お箸の専門店、「はし藤本店」。
はし藤本店0170225.jpg
店内ディスプレイ-20170225.jpg
店内1 20170225.jpg
店内2 20170225.jpg

ほかの箸屋さんの店頭には「削り節}?
ほかの箸屋さん-20170225.jpg

通りから東京スカイツリーが見えました。
スカイツリー-20170225.jpg

これはヤカンのお店。
ヤカン屋 20170225.jpg

大型の調理器専門のお店も見ました。
大型調理缶-20170225.jpg

通りには、ますます人が多くなってきました。
かっぱ橋のにぎわい1.jpg
かっぱ橋のにぎわい2.jpg

買った物は、私専用の小さなフライパン1個のみ。

でも、実に、ああおもしろかった、の1日になりました。





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抱腹絶倒!そのあと、ジーン・・・

書き留めておいた5,6本のブログ更新がなかなか進みません。
ちょっとこの時期、多忙なのと
何だかこのところやや気力減衰気味ゆえに・・・・。

と、そのさなか、
新聞の書籍広告で目にとまった本の広告。
思わずamazonにクリックして取り寄せました。

「ガン入院オロオロ日記」
(東海林さだお著 文藝春秋刊)

1.東海林さだお ガン入院オロオロ日記.jpg

私もガン友?の経験者ゆえ、
書いてあることの一字一句に大笑いとジーンと波寄せ返す情景に
時間を忘れて読み通しました。

この本にはガン入院記だけでなく、
思わず声を出して笑ってしまう内容も含まれていますので、
心の疲れを取るのにはいい薬?かも。

5.東海林さだお ガン入院オロオロ日記 5.jpg

2.東海林さだお ガン入院オロオロ日記 2.jpg

このIDバンドのところ。
4.東海林さだお ガン入院オロオロ日記 3.jpg

これは私の。
認識ベルト.jpg

退院の直前に看護師さんが切ってくれ、ようやく「フツーの人」になります。

点滴をつけての移動のところ。
3.東海林さだお ガン入院オロオロ日記 4.jpg

私も退院の最後までぶら下がっておりました。

ベッドの上で 点滴.jpg


ガンは身近になりました。
他人(ひと)事だと思っていた私が、続けさまに食道ガンと大腸ガン。
確かに早期発見と早期処置で事なきを得ましたが、
5年10年先以内の再発も起こりえる・・・・。

けっこうしんどい話ですが
この東海林さだお氏の本は、深刻な話を自分の体験を通して
素直に書き綴ってあります。
そのうまいこと!
本の中の、「病院は不本意でいっぱい」のところは、
さすが漫画家ならでは、と読み返しました。

もし、多少ご心配な方がおられたら、
また術後もずっと気にかけておられる方がいらっしゃいましたら、
こんな本もいかがでしょう?

私は、2つのガンを体験して、
(歳もありますが)1日いち日の大事さを感じながら暮らしています。

※途中で止まっているブログはそのうちアップいたします。






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下剤三昧(上から下から 内視鏡) その2

お腹の中には、もう何もありません。
特別な思いはなく、
大きな課題をやりきった、という安堵感?だけ・・・。

あとは
看護師さんが呼ぶに来るのを待つのみです。
その間ちょっとウトウト。

「Mさん!,時間ですよ・・・」の声におこされて検査着に着替え,
点滴をぶら下げ、1階の内視鏡室へ向かいます。

ユルユルの検査着ゆえ、スウスウします。
エレベータに乗ると、何となくみんなが私を見ているようです
(これは勘違い)。

息子と同い年のK先生、
「Mさん、お待たせしました。さぁ~、やりましょうかね・・・」と
いつもの元気なお声。

「どうか、どうか何事もないように・・・・」、心の中で祈りました。

およそ40分で終了。

左上のモニターに映されている私の大腸は、
メガネを外しているためによく見えません。
カメラの挿入はそんなに違和感はなかったのですが、
やはりS字結腸、下行結腸、横行結腸など
大きな曲がり角では、カメラの進み行くさまを感じてしまいます。

消化器系図.jpg
(wikipediaより)

すべてが終わって検査台に座り直したとき
一瞬ですが軽いめまいを感じました。
やはり短い時間でも緊張していたようです。

病室に戻ってきました。
手術着からパジャマに着替えるだけで息が切れます。
手足を伸ばすと、スッと力が抜けてきました。
気丈にしていても,やはり緊張していたのでしょう。

食事を摂るのは丸1日ぶり。
以下が夕食、そして次の日の朝食に出たリンゴです。
食べられることの幸せをつくづく感じます。

検査後の常食.jpg退院日朝食のリンゴ.jpg

皮をむいたリンゴが少々、
袋に入って添えられていたのには驚きました。

今回の細かな結果はまだですが、
緊急を要する事態にはなっていない、との説明がありました。
でも、また春には検査があります。

ガン術後にとっての「5年」、「10年」にはまだまだ先があります。
私の場合、食道はあと2年、大腸は5年弱・・・・。
当分(たぶん逝くまで)緊張が続きます。

折しも厚生労働省が
日本人の平均寿命をまとめた「完全生命表」を発表。
2015年度の平均寿命は、
女性が86.99歳、男性が80.75歳だそうです。
2010年の調査に比べると、
女性が10.69歳、男性が1.20歳伸びたとか。

余命を計算すると、あと数字上は10年。
このままの状態を辛うじて維持出来るのは、たぶん5年でしょう。

それゆえに、なおさら毎日毎日を愛おしく過ごさねば・・・・。

先生に感謝、連れにも感謝!


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下剤三昧(上から下から 内視鏡) その1

ずいぶん間が開いてしまったので
あわててアップしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過日、3年前の食道ガン、
半年前の大腸ガン術後の再検査のため
2泊3日の検査入院を終えて帰宅しました。

先生のご提案で、
「一気にやろう!」ということになり、二つ返事で承諾。
昨夏の大腸ガン手術は、もちろん入院してのものでしたが、
大量の下剤服用への恐怖感があったからです。

それが見つかったときの内視鏡検査では、
検査日早朝から自宅での下剤服用で、ひどく苦労したものですから
今回は入院した方が気持ち的にもラクなので
私の方から「お泊まり」をお願いしました。

1日目は
食道・胃の内視鏡ですので。朝から禁飲食。
入院手続きは午前9時に済ませ、
消化器内外科のある病棟ナースステーションで申告します。
顔なじみ?の看護師さんから声がかかりました。
「お久しぶりです。前回も担当しましたよ。」

この3年で手術も含め5回になります。
顔も覚えられるわけですね。

ベッド周りサイン1小.jpgベッド周りサイン2小.jpg
常食1小.jpg手首バンド.jpg

食道・胃の内視鏡は絶飲食だけですので、とても楽です。
恐いのは2日目の大腸内視鏡検査。

1日目の夕食は「大腸検査食」というものでした。食事のあとには、前もって飲む下剤。

大腸検査前食.jpg
大腸検査前下剤.jpg

夜の21時消灯はきついのですが、病院の日課ゆえ仕方りません。
持参した寝る前に飲む薬は、ほとんど効かず3時間後には目が覚めました。

これが今回の下剤。

恐怖の下剤.jpg

この下剤、最近変わったとか。
容器がペットボトルになりまして、上部にコップがついています。

1カップに1/4原液?を入れ、
あとは3/4水を注ぎ、薄めたこの1杯を15分かけて飲みます。
コップには
原液?を入れる赤の目安の線があるので入れやすいです。

飲み始めると、やめられません。
どんなに口に合わなくても飲みきらねば・・・・。
2時間かけてボトル+水を空けます。
8時から10時までの2時間で飲みきりました。

やがて症状が・・・・・。
病室の私のベッドから徒歩14歩のトイレに駆け込むこと、19回。
これを記録します。

下剤服用進捗状況.jpg

最終的には
看護師さんのチェックを受けねばなりませんので
これまでの経験?を活かし、透明度が十分確認できてから呼びに行きます。

「ああ、いいわね、OK!
これで合格。内視鏡検査の準備が終わりました。

(つづく)

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ネット・オークション始末

この歳になって、
初めてネット・オークションなるものを体験しました。
元はといえば、孫のクリスマスプレゼントで娘から相談を受けたこと。
そのゲーム機の高い値段にビックリ!
まぁまぁ使える中古ノートパソコンが買える値段です。

そのとき、
何とか安く手に入らぬものか、とネットで探しているうちにオークションサイトへ。
またその数の多さ、ピンキリの製品状態と価格差にビックリ!

孫へのプレゼントの結論を申せば、
新品購入費用の約半分を負担したのですが、
実はそのあともサイト当該ページを興味津々と眺めること、半月余り。
加齢に伴う薄れ行く脳活性化の一助にと自分への理由をさがし、
「新品同様、良品」に限って落札価格帯を調べはじめました。

しかし、驚いたのは
たくさんのジャンク品といわれるものと作動保証なしに区分されるもの。
つまり、まったく動かないもの、液晶に大きな傷があるものなど、
さまざまなものが数多くく出品され
それにそれれぞれ値段がついていることでした。

そこにニーズがあるのだと思いました。
何かの機械ならば、
部品を探す、取るためにそういうものでも出回ることは知っていましたが、
動かせないゲーム機がたくさんアップされているのは・・・?・。

本体のカバー(着せ替え?カバー)のデザインが違うので、
それを手にするだけでいいのかも知れませんが、初心者ゆえわかりません。

いつもDVDを借りるレンタルショップに行ったとき
ネットで探していた同じゲーム機が中古で売られていました。
思わず値段を見ましたが、それはネットの落札価格帯とほぼ同じでした。

どうや「超お買い得」のような製品、掘り出し物はない予感がしました。

半月の間に、7,8回ほどオークションに参加入札。
価格も、あまりに非常識な値段は始めから入れませんでしたが、
あと数時間で、オレのもの!と思っていたのが、
もっと高い値段を入れられた方がおられ、残念ながら諦めたことが多かったです。
新品を量販店で買った方が
「費用対効果」?面でいいのでは?、とも考えました。

やはりこういったオークションもコツがあるようです。
二股かけていると、
不幸にも?、取消ができませんから二つ買うことになるかも・・・。
オークション元から来る
「あなたより高額の入札者がいました。」というメールもドキッとしていやでした・・・。

結果を申せば、当初の想定よりも若干高い値段で落札。
やっぱり「想定落札価格帯」の範囲でした。
ホッとした気持ちと、この追い込まれる気持ちはイヤだなぁ、とも。

先日、我が家に落札ゲーム機が届きました。
まさに「新品同様」でした。

ニンテンドー1.jpgニンテンドー2.jpgニンテンドー3.jpgニンテンドー4.jpg

でも
気持ちとしては、うれしいというより
箱を開けながら、何だかひどく疲れ果てたような気もしました。

「ノークレーム」という出展者の決まり文句のフレーズも
リスクを負うことを考えて札を入れなさい、と言う警告でしょうし、
歳を重ねた知恵というか危機管理?意識も働いて、
こういう売買は性に合わないとも実感しました。

専用のACアダプターやタッチペンなど買い揃え、
「脳活ソフト」の費用も考えますと、コストもかさみます。

さてさて、
これからこれとどんなお付き合いが始まるのでしょうか・・・・。



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何となく先が見えた・・・・

ある日の新聞を読んでいたら
「死を語る 一人で逝く覚悟必要」と、作家の五木寛之氏の記事が掲載されていました。

高齢化が喧伝されている中、
「650万人もの団塊世代が一斉にこの世から退場する。
大量の要介護老人と大量の死者が周囲にあふれかえる・・・・」
この記事の文章に、
日頃何となく漠然と考えていたことが、
急に目の前に具体的なこととして現れ出てきました。

記事中のグラフを見つめ、
他人事ではなく自分に示された「♫未来予想図♪」?と受け入れました。

高齢化と死亡数グラフ 読売20170115.jpg

そこに紹介されていた
著書「玄冬の門」をAmazonから取り寄せ、読んでからというもの、
これから先のことを具体的に考えるようになってきました・・・。

「玄冬の門」(五木寛之)-20170124.jpg

彼は本の中で次のような「7つのすすめ」を説明しています。

1. 同居自立、
2. 非相続、
3. 再学問、
4. 妄想
5. 趣味としての養生、
6. 楽しみとしての宗教、
7. 単独死

そこで我々の世代の往生際を解いているのですが、
この10日間あまり、めずらしく?まじめに考えておりました。
「最後は単独死」という言い切りは、きついなぁ、と思いました。
まぁ、
昨年8月に姉(81)、義父(92)が12月に他界したこともあるし
つい先日は
会社同期(72)のご家族から彼が亡くなったとのハガキが届き絶句・・・
などが続いたこともあると思います。

つねづね自分をどう完結させるか、考えていたことや、
このところ仏事に伴い
お寺でお坊さんの話を聴いたことも影響しているかも・・・。

著書には、
家族に看取られながら逝くっていうのは、幻想に過ぎない、とか
老人施設でタンバリンをはたきながら合唱なんて!、
そもそも自分としての独立した意識も感じなくなる・・・、との既述もあり、
身内が入居していたことの体験からも、おっしゃる通りかも、と納得。

別に深刻に思い詰めているわけではありません。
ただ「死」を身近に感じることが続いたのとこの記事との相乗効果?かも。

でも
この3年で複数のガンやカテーテルなどを経験しますと、
生きることと死を隣に意識し、
「死ぬまで生きる」ということに素直に聞き入るることができます。、
「死に方 用意!」とは言えませんが、少し肝が据わったよう・・・・。

残った時間(たぶん10年未満でしょうが)と
思い出を楽しみながら
これからの出会い、そして家族を大切にしていきたいと思うのです。
最近、連れとこういった話を軽く?出来るようになったのは
とてもいいことだと思っています。

次は、もっと軽い?お話にしますね。



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今年もおみくじ行脚

年末からこれまでいろいろあったのですが
まとめきれず、今日に至りました。
このままではズルズル先延ばしになるため、
おもいつくまま書き綴りました。

今年も
地元の小さな神社とお寺、それに都心の神社にて
恒例おみくじ行脚をしてきました。

元旦、まずは家から徒歩8分の神社へ。
この4,5年マンションやアパートが増え、参拝者が増えました。

地元の神社1.jpg
七里神社由来.jpg

このでのおみくじは、「中吉」。
すべての項目が、まぁまぁというお告げです。

ここから1分の真言宗のお寺にも参拝。
そこで引いたのは「吉」。可もなし不可もなし・・・・。

2日には
45年前に婚礼をあげた東京・赤坂の日枝神社へ。
毎年かかさずお参りしている御利益か何とかここまで暮らすことができました。
20170102日枝神社山門web.jpg
20170102日枝神社全景.jpg

時間が早かったせいか、待たずに拝殿まで進めました。

日枝神社2人でsmall-20170702.jpg

ここでも「中吉」
日枝神社おみくじ5.jpg

孫たちや交通安全のお守りや家に飾るお札をいただきましたが
自分用にこんなものも。
日枝神社おみくじ1.jpg
底を開けて
日枝神社おみくじ2.jpg
引っ張り出します。
日枝神社おみくじ3.jpg

出てきたおみくじは、
日枝神社おみくじ4.jpg

やっぱり「中吉」でした。

願事=心配多くして其功少なし急ぐな
待人=来るとも遅し
失物=出るが役に立たず
旅行=盗難に用心せよ
商売=売買共に利少なし
学問=早めの決心が大事
相場=買いが勝ち
争事=先に言うと負ける
恋愛=待て 将来吉
転居=さわぐと損
出産=さわりなし 安産
病気=医師を選べ 治る
縁談=途方に暮れて迷う
     事あり見定めよ

ここまでまいりますと
今年は、そう大騒ぎもなく暮らせるのではないかと安堵いたします。

日枝神社の帰りにお蕎麦を食べながら、
連れと45年前の結婚式と今年の行く末を話ました。
ふたりともよくここまできたものだ、というのが率直な感想です。
20170102神社帰りの蕎麦.jpg













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