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30年ぶりに息子の背中を洗う

先週末、
息子が友達とスケートに行き、転んで骨折。
左手首「舟状骨(せんじょうこつ)骨折」、右手首捻挫です。

webによれば、
舟状骨とは、手関節を構成する骨のひとつで、
転んで手をつくと折れる骨とのこと。

血流の悪い部位で治りにくいとの話でした。
固定するなら6~10週間もかかるらしく、
結局は手術となって、1泊2日?の入院となりました。

で、タイトルは、
入院する前から入浴が出来ませんでしたので、
退院後、
実に5日間も入浴できなかった息子の背中を
父である私が洗ったあげた、というわけ。

4,5歳くらいから
身体を洗ってあげることなんかなかったわけですから、
実に27.8年ぶりでしょうね。

ギブスの左手をビニールの袋で巻き、
湿布薬を貼った右手で
辛うじて胸や腹を洗い終えた息子の背中を洗うとき、
妙に恥ずかしい気持ちもありましたが、
何か言われぬ懐かしい気持ちがしました。

ケガは悔やんでも仕方ないでしょうが、
こう言うことも起き得るのだから、対処するしかないと
背中を流しながら言いました。

父親ではなく奥さんにやってもらえたら、という
本音は言いませんでしたが・・・・・。

それにして手術当日に
久しぶりに大病院へ行き、病人の多いことに驚きます。

かく言う私も、血糖値と血圧管理に
1ヶ月に一度クリニックへ行っているのですが・・・・・。

術前、医師から手術の説明を受け、
CTスキャンやMRIの画像を目の当たりにしました。

舟状骨の剥離は視認できましたが、
骨折部位は、私には読み取りませんでした。
診る人が見れば分かると言うことなのでしょう・・・・。

高校の体操部では、宙返りの着地に失敗し、
足首捻挫は数え切れないほど経験していますが、
このような微小の骨折を身近で見たのは初めてでした。

それを切開せず、
細いスクリューボルトで接合するなんて、
息子のことながら驚きます。
術後ベッドで先生から息子と一緒にその写真を見せられた時、
身内のことではありましたが、まさに、へぇ~って言う感じ・・・。

当分は不自由な生活を強いられますが、
これも長い人生での貴重な経験と考え、前向きに行かねばなりません。

このケガのおかげ?で、
子供の頃の息子を思い出しながら、背中を洗えたのは、よかったです。

健康が何よりですが、
次回?は、奥さんにケアをしてもらえることを祈っています
(息子から叱られるので、黙っていますけど)。



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行くぞ!「英国ひとり旅」 計画 その1

この4月末頃、
私、念願のイギリス「戦車博物館」(The Tank Museum )を
めざします。

これまで若い頃より木製のものから
1/48,1/35,1/16スケールの
戦車プラモデルだけを手がけてきました。
その数、70余台。
いま残っているのは、半分以下ですが、
いよいよそれらの実物に会えるのです。

いろいろなミリタリィプラモデルや
戦車そのものに興味のある方には、
知識・経験など到底足下にも及びませんが、
本物に触れたい、という気持ちだけでここまで来ました。

どの趣味でもそうですが、
超人的なプロがいらっしゃいますね。
そのような方と私が重なり合うのは、
ただ「戦車が好きだ」、という事だけです。

子供の頃、
最初に本物の戦車に触れたのは、小学5,6年生の頃でしたか、
育った町にに自衛隊駐屯地があり、
(記憶ではM24ではなかったか・・・。)
操縦席まで座り込んだ思い出があります。
きっと何かのイベントだったんでしょうね。
狭い空間と冷たい触感、
オイルのにおいだけが記憶に残っています。

それがきっかけで
キャタピラーの付いたものが好きになり、
学生になってからは
戦車が出る映画をひとり観に行きました
(建設現場ではブルドーザーにひかれました)。

映画「バルジ大作戦」(1965年初公開)。
この印象が強烈でした・・・・。
学生時代に銀座・テアトル東京(現ル・テアトル銀座)の
大画面で観たのが、この映画。

少なくとも
これまで映画館で3,4回、
レンタルビデオ・DVDなら6,7回は観てるでしょう。
だんだんと
出てくる戦車に違和感を感じたのは、
知識が増えた証拠かも。

話が横道にそれました。
この映画については、また別の機会に・・・・。

google mapを利用させていただいて、
The Tank Museum の場所の確認。

ボービントン「戦車博物館」は
ロンドン・Waterloo駅から
南西へ2時間45分のWoolという小さな駅が下車駅です。
wool station 1_R.jpg
wool station 2_R.jpg

下の写真がwool駅。
wool station 3_R.jpg
wool station 4_R.jpg

Waterloo駅の周りにはほとんど店も家もありません。

ここから「The Tank Museum 」へは、
タクシーかたまに来るバス、あるいは徒歩(40分?)で
行かねばなりません。

もちろん、
駅前にタクシーが待っているなんてないようで、
赤い公衆電話から電話をかけ来てもらいます。

わぁ~、どう言えばいいんだろう・・・・。

乗り換えありなら、
30分くらい短縮できますが、
それすらままならない、となると鈍行で行かねば・・・。

ホテルから、
地下鉄でWaterloo駅まで行けるかしら・・・、
何とかなるだろう、と思いながらも
「段取り八分」で育てられていますので、考えます。

こういう気持ちの錯交が
行く前のおもしろいのかも知れません。

その1 終わり(続く)















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私の愛用品 その1

半月以上も間を空けてしまいました。
なんとかせねばと、
ふっと思いついたのが、毎日使っているもののご紹介。
私の愛用品その1(続きは不定期)。

※記述に関しては、個人な感想です。

まず、これでしょう・・・・。
40年来愛用の品.jpg

「太田胃散」と言えば、
即座に「ありがとう、いいくすりです・・・」と
条件反射のようにCMが浮かんで来ます。

私、これを自宅と会社に置いております。
まぁ、なんというか「お守り」のような感じ・・・・


ウィキペディアをひもとけば、
明治16年に東京・日本橋の「雪湖堂」というところから
発売されていて、なんと130年を超す歴史があるとか。
なかなか長寿な薬です。

私が最初に服用?したのは、
会社に入ってすぐのころですから、40年も愛用していることになります。
ロート製薬の「パンシロン」より長いですね。

食べ過ぎ、
飲み過ぎに手軽に飲めるのがいいのですが、
この胃腸薬、錠剤でなく粉状なのが効く?と私は信じているようです。

ところが、強烈な思い出がひとつあるのです。

もう20年以上前、
胆のう摘出手術を受け、1ヶ月ほど入院したことがあります。

何か胃に違和感のあるとき、
いつもこれを缶に付いている小さなスプーンですくい、
ポンと水と一緒に口にすると、15分ほどで、
スッとなり軽減されました。

いま振り返ると、
生活習慣病にような違和感が続いていたのですが、
これでごまかしてきたようなんです。

ところが「胆石」発症のときは、全然効かない・・・・。
私もそんな病気だとは、まったく分かりませんでした。

で、断続的な強い痛みに耐えかねて
とうとう病院へ。
その結果が「胆のう摘出」で25日もの入院でした。
(当時は、いまのようなお腹に穴を開けて引っ張り出すとか、
そう言う術法がなく、24針も縫う開腹手術でした。
いまもお腹を見るとジッパーが付いているような傷跡が・・・)

それはさておき、
お医者さんから処方される胃薬よりも
やはり私はこの方が親しみもあって好きですねぇ~。

もうひとつは、
結婚してからひげそりあとに使っている
「ザーネクリーム」。

私の肌が年の割にきれい?なのはそのせいではないかと、
かかりつけの内科の看護師さんから言われました。

いえいえ、この美肌?は、
私が雪国生まれなのと
商売が風呂屋だったせいですよ、と言うのですが。

さて、
ザーネクリームは、ハンドクリームなのですが
ひょうんなことから、私のお肌の万能クリームとなりました。

私が結婚した当時、
連れの妹がエーザイに勤めておりまして、
我が家の洗面所に置いてあったのです。

あるとき、ひげそり(安全カミソリ)のあと
後につけるクリームが切れておりまして、
効能書きを読むと毒?ではないと判断いたしました。

よく伸びて肌に馴染むんですが、
ひげそりあとが実に感じが良いのに気がつきました。

このクリームのことを調べますと、
1973年 「チョコラザーネ」を改称して「ザーネクリーム」発売、とあります。

私が連れと結婚したのは、
1972年の春ですから、新発売から1年未満。
妹が何となく連れに勧めたのではないかと思います。

なんとその頃以来、
私はひげそりあとは、必ずこのクリームをつけて
軽くマッサージいたします。

40年も続ければ、
多少何もお手入れしないよりは、劣化防止?になるでしょう。
「継続は 力なり」です、何事も。

願わくば、
私の存命中は発売中止にされませぬように、
予告していただければ、
10~20個ほどの小さな買い占めに走ります。





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年のはじめに

昨日の続きとは申せ、新しい年が明けました。

今年はこんな年賀状になってしまいました。

2012年賀状.jpg

どうしてもいつものように軽やかに出来ず、
重い文面になってしまいます。

「慈しむ」という言葉をしっかり味わう人生にしたいです。

毎年たくさんの年賀状をやりとりしてきた私ですが、
そろそろ縮小せねばならない頃がやってきた感じ。

来年(2013年)、
もう一度年賀状で新年のご挨拶をし、
翌年2014年年初に
最後のHappy Retirementのメッセージを届けて、
会社で得た
さまざまなコミュニケーションの締めくくりをやるつもりです。

お付き合いをした方々と
わずか50円で双方向の存在確認?が出来るのは
ありがたいことだと思います。

さて、今年の心構え

その1: 娘第2子誕生への協力(3月上旬予定ゆえ無事誕生祈願)

その2: 社史社内調整(わかり合う力が弱いなぁ~)

その3:英国ひとり旅(行くぞ!、戦車博物館とリバプール再訪)

その4:家庭内安全・平和の維持(尽くすのが私の人生?)

その5:肥満対策と血糖値管理(高値はストレスと、医師も言い)

そうたいしたことはないのですが、
努めて明るく、元気に、(連れと)仲良く暮らしたいと思います。

前向きしかないですものね、人生って。

正月家族みんなで写真。
(娘のダンナは、製パン業の営業マンゆえ、
年末年始は仕事で不在)。

2012正月みんなでup.gif

真ん中の孫は、2歳7ヶ月。
私のパソコンでYoutubeを所望し、
いろいろな電車の走行シーンを見るのが好きです。
今日は、同じシーンを見せたら、
なんと「ジジ、これ同じじゃ~ん!」と言うではありませんか!

なんという進歩!

私にはこうした知識の吸収力が衰えております。

かの偉大なオノ・ヨーコ氏と話をしたとき
「人はね、好奇心を失ったらダメよ。
私の元気の素は、好奇心を失わないことなの。」、と。

せいぜい世の中に起こる事象を
孫のように「なんだろう~、これ?」と言い続けます。

今年もよろしくお願いいたします。
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2011年の忘れられないこと

暦の上では、
あと数時間で新しい年となりますが、これまでとは違う感じです。

年賀状には、
「明けまして おめでとうございます」は書きませんでした。
事実、書こうとも思わなかった・・・・。

やはり、3.11が重くのしかかって来て、
それに、予想通りではありましたが、政権のふがいなさ。
きつい言葉ですが、
「先生方、よくそれで国を思うとか、国民の幸せを願う・・・なんて言えるな!」
を大声で言いたくなります。

「真摯に受け止め、スピード感をもって・・・・」

空しい言葉が行き交った1年でした。

私は、テレビ、新聞、週刊誌などの報道から
ただ涙するだけでした。
街頭の救済募金に、幾度もなくお金を入れるだけ。
ほとんど何もできなかった自分が悔しい・・・。

財政が逼迫しているなら、
その責任を明らかにし、これまでを総括して、
国民に納得できる負担を求めるのなら、
まず、政府、官公庁の
経費・人件費をこれだけ切り詰めました、
みなさん如何でしょうか、これで?、と宣言しなければ・・・・。

みんな自分の都合の良いように考え行うことは
余裕のあるときに出来ること。

会社なら、
社員の給与を減ずるならば、
まず役員の数を減らし、役員報酬を辞退することがまず最初の覚悟。
コミュニケーションや会社の潤いに必要な経費もなきに等しく
ただただ経費節減、利益至上主義先行では、
意気に感じて働く社員さえ自分を守る思考に陥ります。

国も政府も、地方自治体も
自分たちのアイデンティティを振り返るべきです。

TとかKとかいう超エリートの方々は
人生真ん中トップをお歩きゆえ、なかなか下々の感覚が分からない。

国家存亡の時こそ、
自分たちの出番、役割、使命だとは思わないのでしょうかねぇ。

3.11以来、
私の心のどこかに「死」に対する考え方の変化がありました。

それが今年一番の忘れられないことですね。


そのほかの出来事。

1.会社勤め3回目始まる(ゼネコン→館長→ゼネコン)

2.台湾2泊3日(中日に3.11。息子との連絡が1日途絶えた)

3.伊万里・有田2泊3日の旅(焼き物の魅力が少し分かった)

4.娘に2子目予兆(3月誕生予定。臨戦態勢の整備)

5.英国ひとり旅計画始まる(2012年4月下旬)

あまりたいしたことはないですね。
3.11に影響されていますね。

ところで、
いま家の中は童謡のBGMでいっぱい。
孫と娘が我が家にやってきたのです。

娘のダンナが
パン屋さんの営業マンゆえ、年末年始は仕事です。
出産まであと2ヶ月の娘の負担を軽くするため
連れが呼びました。

おかげで大掃除はガラス戸だけ。
あとは昼寝タイムを抜かして孫と一緒に歌い、踊り
こうして遊んでいます。
大晦日孫と遊ぶ.gif

何てことはない情景ですが、
今年はこの小さな幸せを大きく感じました・・・・・。

来年は、何とか頑張って前へ進みたいものです。
私も、家族も、東北のみなさんも。

国や政治を職業とする先生方も、
もっともっと働くことの大事さと気概を持って欲しいと願います。

Love & Peace





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大人3人がかりのプレゼント

娘と孫が数日我が家に滞在し、今日帰って行きました。
家の中は、火の消えたような静かさであります。

ちょうどクリスマスの時期でしたので、
先週連れと数駅離れた大きなショッピングセンターへ。

日頃は慎重な連れが、
私の想定していた価格帯?とは異なるチョイス。

「へぇ~・・・」と内心思いましたが、もちろん口には出せません。

よいしょ、よいしょと持ち帰ったのがこれ。
正しく商品名を書きますと、
「プラレール いっしょにひろげよう! トミカとプラレールの陸橋セット 」、
と言うものであります(Amazonの方が1,400円安かった・・・)。
プラレールセット.jpg

24日の朝、
孫が起きてきて着替えが済んだところを見計らい、
「たっくん、これはジジ(私)、ババ(連れ)からのプレゼント!」
と言って渡しました。

狂喜乱舞、
とはまさにこのことと思うほどの喜びようでありました。

ここからが大変です。

箱の中には、詳しい組み立て説明書がありません。

私が組み立て始めたのですがなかなかうまく行かず、
息子に声をかけ、連れも娘も入っての「大工事」となりました。

私はギブアップ。
その一部始終を孫と一緒に見守りながらの撮影。
それが、この1枚。
クリスマスプレゼント組み立.gif

線路と陸橋、駐車場と3つの要素が入っているセットゆえ
3次元的に俯瞰して把握しないと作業が進みません。

出来た!と思ったら,
パッケージの写真と何だか少し違います。
みんなで、どこが違うんだろう、と言い出す始末。

原因は、駐車場のパネル位置と
レールの長短異なるサイズの接続順のミスからでした。

着工?以来、40分。ようやく完成しました。
クリスマスプレゼント組立2.gif

孫はそこまで興味は持続せず、
絵本を見たり、電車のおもちゃで遊んでおりました。

「出来たよ~」

その一言で冷めた笑顔
(やっと出来たのか、大人にしては時間がかかったなぁ)を見せ、
床に寝そべり遊びはじめました。

2歳7ヶ月の彼。
来春には、お兄ちゃんになります。

来年の今ごろ、
彼のそばには8ヶ月の妹(又は弟)がいるなんて想像出来ないなぁ。

大きくなったとき、
今年のクリスマスのプレゼントでみんなが苦労したことなんて、
覚えてなんかいないよねぇ~。
そう言うものなんだよなぁ・・・・・。

でも孫と一緒にいると不思議な気持ちになりますね。
娘の子供、
あの小さかった娘が来春には2児の母になるんですから。

歳を取るのは
周りの変化、成長で自覚するものなのですね。

いいクリスマスイブでした。


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孫への手作りカレンダー

去年に引き続き、
孫の写真を集めた2012年カレンダーをつくりました。
題して「たつやくんの2012カレンダー」。

量販店に
A4用の「カレンダー手作りセット」(780円)がありますので、
今年1年、
主に我が家で撮った写真の中から12枚を選んでの制作です。

ワードのテンプレートをダウンロードして、
写真を貼り付けるだけ、の簡単さ。

とは申せ、
規定の範囲の中に収まる写真を入れるのは、
やはり職人芸?が求められます。

できあがり満足度75%ではありましたが、
連れからは、おおむね好評を得ましてホッといたしました。

これを我が家と
娘宅、ダンナの実家にと3部作成いたしました。

孫自慢はイヤな感じでしょうが、
小生の作品鑑賞?としてご笑覧あれ。

表紙(すぐに破られてしまうけど)
たつやくんのカレンダー1.gif

最初の印象が大事な1月。
たつやくんのカレンダー4.gif

親子でのツーショット。
たつやくんのカレンダー3.gif

今年の夏、みなで大笑いした氷のお遊び。
たつやくんのカレンダー2.gif

以上であります。

やはり、「孫自慢」なのかなぁ~。

ところで、
いまだ年賀状が手つかずです。
これは重大問題です。
カレンダーなんて作っている余裕はないはずなのに・・・。

現実逃避・・・・。
弱い人間の習性であります。
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ジョンと暮らした7年半

今日は、
ジョン・レノンの31回目の命日。
あれは1980年12月8日のことでした。

22時50分、
ダコタハウス前の路上車を降りたところを
銃で殺害されたのは命日ごとに報道されていますので
ご存じでしょう・・・・。

このジョンと関わったのは、
(もちろん生前ではありません)
2003年6月からでした。

それまで
さほど深く気にしておらず(歴史上の人物、とだけ)、
よもや深く関わるなどと知らなかった私。

それが、毎日がジョンの楽曲を聴き
たくさんのファンの方々と交わるようになって行きます。

いまこうしてフツーの生活に戻ったわけですが、
彼の人生、
もちろんビートルズのメンバーとしての存在、
そしてヨーコとの関わりから知り得たことに
私は大きく影響を受けました。

毎日、朝から晩まで
ジョンの人生を振り返られる仕事なんて、
そうあるもんじゃありませんが、貴重な経験でした。

ダコタの7階、
その部屋に行くときの古いエレベータ。
ダコタハウスは、1840年代の建物。
入り口も、廊下も、窓も、テラスの手摺りも・・・・・、
ありとあらゆるもの(空間も)が、
いまジョンがひょいと顔を出してくれるような雰囲気。

生まれ故郷、リバプールにも2回訪問。
ミミおばさんに育てられた
Mendipsの家の中のジョンの部屋。
そのベッドに腰を下ろしたときのあのあたたかな雰囲気。

「ああここでいろいろな空想をし、
ポール少年(!)とギターを弾き歌ったのか・・・」と言う臨場感。

「Love me do」のメロディが聞こえてくるようです。

この庭で芝刈りのお手伝いをし、
庭手前右側にある石炭置き場から暖房用の石炭を
よいしょよいしょと運んだんだ・・・・。
Mendipsの庭.gif

このバスタブで、
ジョージおじさんとお風呂に入ったんだ・・・・などなど。

このダイニングでご飯を食べた・・・・。

少年の頃のジョンが
あたかも目の前にいるような感じさえしたひとときでした。

Mendipsの家で彼が暮らしていた、
そのすべてをただの観光客ではない感じ方で吸収していました。
小さな展示室-元ダイニング.gif

あの空気、風、近所の佇まい・・・。
目を閉じてもほぼ完璧に蘇えさせることができます。

ニューヨークへ行ってからは
2度と故郷リバプールに帰らなかったジョン。

おこがましいのですが
私が心のどこかに
故郷高田(新潟県)を大事にしているように
ジョンも生涯ふるさとを忘れることはなかったのではないでしょうか。

恥ずかしながら、
熱烈なファンのような知識も持ち合わせませんが、
7年半、毎日毎日ジョンを感じていた日々でした。

12月8日、特別な日。

私は、静かにジョンの人生、
とりわけ少年時代のジョン少年を思い浮かべ、
冥福を祈ります。


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私って「凡人」かな? 三省堂の辞書広告を見て考えたこと

今朝の朝刊に掲載されていた辞書の「三省堂」の広告です。
三省堂広告1.gif

以前にもこう言うデザインのものをみた記憶があります。

目につくキャッチ。

この国語事典は、
ビシバシ言うのだ。
三省堂広告3.gif

で、今回の言葉は、「凡人」。
三省堂広告2.gif

曰く、

ぼんじん【凡人】自らを高める努力を怠ったり
功名心を持ち合わせなかったりして、
他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人
[家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる]

思わず何回も読んでしまいまして、自問自答。

私は「凡人」か、どうか?

「自らを高める努力」はしたつもりだが、「怠った」こともある。

「功名心」はあったときもあるけど、すぐに非力さを感じてやめた。

でも、「他に対する影響」は、自分ながらあったと思う・・・・・。
「Mさんに、こう言われた」とか
「仕事への熱い思いを感じた」とか、
多少は他の人に影響を与えたのではと思っているのですが・・・・。

「家族の幸せ」は、いまも願っているけど、
「自己の保身を第一」とはしていない。

歳のせいか、自分に対する欲は薄らぎつつあるが、
会社や世の中に対して、
「こうあって欲しい」、「こうすべき」という思いはますます強くなりました。

ならば、私は非凡?

いえいえ、
特に際だって優れた能力もなく、また賞賛されることもなく、
会社員としては、中の中の役職なのに
ビックリ仰天仕事を命じられ、まさに孤軍奮闘の7年余。
やっと終わったと思ったら
その親会社にいまだ契約社員として働いている・・・・・。

これってフツーの才能・能力なんだから、やはり凡人か・・・・・。

ねぇねぇ、考え込んでどうするの?

「凡人」というこの辞書の解説には、
まったく同意しないながらも、否定もできない。

まぁ、世の中に採り上げられることもなく
今のままの延長で終わってしまうわけですから、
平凡ではありますね。

mediocre、uneventful というのが和英辞書を開くと出てきます。
そうそうふだんの暮らしや仕事の中にイベント性なんかないので、
平凡=uneventful が一番適訳かも知れませんね。

たかが広告中の一つの言葉なのに、
何でここまで考えるのか・・・・・、これがちょっと平凡でない私の
非凡さであります。

こう言うことを妙に書き連ねるのは、
写真のようなジャンルの本ばかり読んでいたせいでしょう。
人間について
あまり深く考えない方が、フツーに生きられるのかも知れません。
本棚の本.gif
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「有田・伊万里への旅」 その4 番外編

■今回の旅行が、
スムーズに運べたのには秘密があります。

初めての場所ゆえ
ガイドブックを探しても、なかなかいいものに巡り会いません。

それでwebで情報を集めてみたのですが、
ちょうどいい具合にまとまったものが見つかりませんでした。

そこで私が考えたのは、
地元の観光協会へ問い合わせだったのですが、
当然のことながら地元は地元のアピールしかなく、
もっと良い方法は?と思い当たったのが、佐賀県の東京事務所。

永田町には
都道府県会館という建物があり、
そこに全国48都道府県の出先機関、東京事務所があります。

前の仕事で幾度かこの建物に行ったことがあるので、
佐賀県のホームページからその事務所を調べ
資料送付をお願いしました。
「佐賀県首都圏営業本部」という民間の組織のような名称です。

出発の直近でしたが
わずか2日でたくさんの観光資料が送られてきました。
有田観光パンフ.gif

そこに添えられていた送り状。
普通は簡単な文面ですが、手書きで書かれていたその文章に
私は「サービス」の原点に触れることができました。

「このたびは資料のご請求ありがとうございました。・・・
・・・・どうかご夫婦で楽しい有田・伊万里の旅をお楽しみ下さい。」
(佐賀 J)と書かれていました。

とても気持ちのこもったあたたかな文面でした。

資料のひとつひとつに付箋が貼られ、
観光ポイントにはマーカーが引いてありました。

本当に観光を楽しんでいただきたい、
佐賀を好きになって欲しい、という気持ちが伝わりました。

これらの資料が有田・伊万里で大いに役に立ちました。
佐賀県首都圏営業本部のJさん、
ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

■金曜日に有田の
篠英陶磁器(株)の社長さんからお電話をいただきました。

現地でお話しして出ていた
前の店の映像記録をお送りしたのですが、それを受け取ったとのこと。
不思議なご縁でした。

有田は、
19日から「秋の陶磁器まつり」で、その準備で忙しいとか。

私たちが行った先週は、
人の姿も見られないほど静かでしたが、きっと大にぎわいなのでしょうね。

今度行くときには狙いを定めて
日常使うものをたくさん買い込んできたいものです。
もちろん連れと、いっしょで、です。
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「有田・伊万里への旅」 その3 最終日も再び有田へ

2日目は有田から博多へ戻っての夕食となりました。

その車中でガイドブックを見ていた連れは、
「ここがいいのじゃない?」と
指さしたのが、「ろばた焼き 磯貝 天神店」。

前の晩は、水炊きでしたので選択肢はラーメンか海鮮でした。

地図を見て、
福岡三越、ロフトの近くでしたので
天神初めての私でも何とか行けそう、とそこに決めました。

ガイドブックに出ていた店長お勧めのお刺身を注文。
博多天神-磯貝-刺身.gif
そこそこのお値段でしたが、さすがどれもうまい・・・・。

店内はほぼ満席で結構うるさく、
目の前のカウンターで好きな魚を注文して、
という雰囲気ではありませんでした。
博多天神-磯貝-カウンター.gif

地酒と焼酎を飲んでイイ気持ち
で天神地下街を通り天神駅へ向かいました。
博多天神地下街天井.gif

最終日。
連れは、もう一度有田へ行きたいと申します。
空港にも戻る時間を考え、前の日と同じ特急で有田へ向かいます。

行った先は、「九州磁器文化館」。
有田駅から徒歩で10分ほどで行くことができました。
有田磁器文化館外観.gif

有田で
焼き物が始まった頃から現在までの歴史がよく理解できました。

ヨーロッパの王侯貴族に
大きなインパクトを与えた古伊万里の数々。
これまであまり焼き物に興味のなかった私が
ぐいぐい引っ張られます。
色絵ケンタウロス文皿.gif
有田磁器文化館展示物.gif
有田磁器文化館展示物2.gif

展示室を出ると
大きな有田焼きのからくり時計がありました。
有田磁器文化館館内.gif

一番印象的だったのは、
1600年代、どうやって海外へ運ばれたか
その時期の梱包方法を説明したコーナーでした。
有田磁器文化館館内-梱包.gif
実にていねいにくるんでいますね。

有田駅観光案内所のおじさんに教えてもらった
「ギャラリー有田」で昼食となりました。
ギャラリー有田外観.gif
入り口を入るとこんな大きな壺が出迎えてくれます。
ギャラリー有田玄関内の壺.gif

器に凝ったランチをいただきました。
ギャラリー有田ランチ.gif

店内には、2,200種類のコーヒーカップがあり、
自分お好きな器で楽しむことができます。圧巻でした。
ギャラリー有田店内.gif

店の外に「有田陶石」というものが置いてあります。
有田焼きの原料となる陶石で、
1616年(元和2)、朝鮮陶工・李 泰平によって有田町泉山で
発見され、それ以降大きく進歩したと言われています。
ギャラリー有田前-泉山陶石.gif

有田駅発13:12 (みどり16号) 博多着 14:34

博多発 14:50 (地下鉄空港線) 福岡空港着 14:55

JAL 322 福岡 16:00発 羽田着 17:30 で帰京いたしました。
満席でした。

有田焼きは、奥が深かった、が感想です。

一番印象に残ったの有田焼きは、
ラーメンどんぶり1個6,000円!というのが本音の話。
これでは、連れに申し訳ございませんね。

次回は、番外編を。
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「有田・伊万里への旅」 その2 有田で見たものは・・・

有田・伊万里へ焼き物を見に行く旅。

2日目は、いよいよ有田・伊万里へ向かいます。

気楽な気持ちで博多駅へ行ったのですが
この駅ビル3月に生まれ変わって、すご~くでっかい。
コンコースでウロウロしてしまいました。

有田・伊万里までは、JR九州と松浦鉄道を利用します。
お得な切符があって
有田までの往復(特急みどり)は、1人4千円。
それに有田-伊万里(松浦鉄道)で往復820円ですから、
全部で約5千円となります。時間は、待ち合わせも含め2時間でした。

博多から「特急みどり」に乗ります。
特急みどり1車体.jpg
特急みどり3次は有田駅.gif

有田駅で松浦鉄道に乗り換えです。
松浦鉄道2車体.gif

松浦鉄道きっぷ.gif

車内は平日ということもあり空いていました(1両編成)。
松浦鉄道1車内はガラガラ.gif

最初に
伊万里の大河内山に行こうと思い電車を降りたのですが、
バスの便が1時間に1本もありません。
ガイドブックには、駅よりバスあり、と書かれていて間違いではない・・・・。

それでタクシーで大河内山へ。
ここは、窯元が集う、
鍋島有田焼きの有名な場所秘窯の里です。
http://www.imari-ookawachiyama.com/kamamoto/map/index.html

橋の欄干もこの通り。
伊万里10大河内山-欄干.jpg

春の瀬戸物市のときには、
人口2万人のこの町に、なんと100万人もの人出があるそうです。

シーズンオフのこの時期はとても静かです。
伊万里5大河内山.jpg

2,000円のぐい呑みと、50,000円のものとの違いが
気のせいか少しだけわかったような気分になりました。

当初1日で
伊万里・有田を踏破しようと思っていたのですが、考えが甘すぎました。
なにせ移動の手段がバスかとクシーしかありません。

大河内山でいろいろな店をまわりすぎ
予定の時間がオーバー。
午後4時近くにようやく有田に戻りました。

連れは、
時間がない、もっと見たかったとしきりに・・・。

そして、
そこから車で7,8分の次なる目的地、
有田陶磁の里プラザ(世界最大規模の有田焼ショッピングモール)で
私たちが見たものは・・・・。

偶然入ったのは2軒目の店、「篠英陶磁器」。
そこで懐かしい方と再会?したのです。

私は、金縛りに遭ったように立ちすくみました。
息が止まりました。

そして
ポスターと展示されているイラスト付の商品を眺めました。
有田焼卸団地8ジョン・レノン2.gif
有田焼卸団地8ジョン・レノン3.gif

そこにあったのは、
去年9月に閉館になったある施設のオープン告知ポスター、
それに特別展のチラシ、
カフェで使われていたプレート類の数々です。

社長に事情をお話ししたところ、
懐かしそうに話をして下さいました。
「そうでしたか・・・。
きっとジョンがお客さんを呼び寄せたのでしょう。
しかし、本当に偶然ですね。」

記念に写真を撮ってもらいました。
有田焼卸団地8ジョン・レノン.gif

疲れたのでその卸団地の中にある店でコーヒーを。
もちろん器は、有田焼きです。
有田焼卸団地コーヒーカップ.gif

電車ギリギリまで各お店を見て回りました。
観光客はほとんどいません。
平日の商売のむずかしさを感じました(以前勤めていた店も同じでした)。

バスの便はなく(なんと平日は運行していない)、
タクシーを呼んで有田駅まで戻り、
18:12 有田駅発
18:34 博多駅着の「特急みどり26号」で帰ってきました。

車中で、連れが明日も有田へ行きたい、と申します。
さて・・・・。
次回は3日目、東京へ戻る日であります。
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「有田・伊万里への旅」 その1 久しぶりの羽田空港

11月13日(日)から15日(火)まで
連れと九州 博多・有田・伊万里へ2泊3日の旅。

何回か、その旅のあらましをご報告します。

「有田や伊万里へ行ってみたい・・・」
連れがそう言い始めたのは、数年前になります。
店の仕事で土日が休みでなかったので、
これまで実現出来ませんでした。

利用したのは、
福岡へJALとホテルとがセットになったパッケージ。

ホテルは超一流で交通費込みで
一人あたり2泊3日で27,000円ですから、ずいぶんお安い。
(でも、部屋は良くなかった・・・・)
博多ホテル1吹き抜け.gif

「一休com」でも
ツインで1泊2名22,000円前後というホテルですから、
どうすればこういう値段が生み出せるのか不思議です。

さて出発当日ですが、
実は、私、この十数年羽田空港へ行っていない・・・。

店の仕事では、
成田空港からロンドン・リバプール、ニューヨーク、
レイキャビック(アイスランド)へ出かけましたが、
いまの羽田空港の様子が分かりません。

品川から空港までの京急空港線も乗ったことがない。
ネットでいろいろ調べてもイメージがつかめません。
ならば、余裕を持って行くのが私流。

例によって「旅程表」の作成。
いつも連れにやり過ぎと冷たくされますが・・・・。
有田・伊万里旅程表.gif

しかし、
初日の最寄り駅へ行きましたら、
いきなり信号トラブルで電車が遅延とのアナウンス。
ならば、次の手で、
乗り継ぎは増えますが地下鉄で行くことになりました。

羽田空港はすご~く大きくなりましたね。

私、昭和30年頃、初めて母と一緒に上京したとき、
叔母さんと一緒に
「羽田上空遊覧飛行」(15分)をさせてもらったことがあります
(ひどく酔ってこれ以来飛行機は苦手になりました)。

会社がずっとここで工事をしていますので
若い頃から身近な飛行場でしたが、もう街のようです。
何とか迷子にならず到着。
余裕がありすぎて、ここで昼ご飯となりました。
羽田で昼食.gif

昔、最初にここへ来たときは1月でしたが
高田は大雪でも、東京は青空。
それに、
寒いのにアイスクリームを羽田で食べさせてもらいました。
東京の人はすごいなぁ~、と感心しました。

福岡空港から博多駅までは地下鉄でわずか5分。
ずいぶん便利になりました。
昔はバスかタクシーでしか街中に行けませんでしたから。

夕ご飯は、
連れがガイドブックで探した「かし和」という水炊き屋さん。
でも、行ったら貸し切りで・・・・入れず。
行き損ねた店.gif

店の方に
「この近くでお勧めのお店あります?」と大胆?にも連れが聞きます。
ここらへんが女性の強いところです(ライバル店を聞くのですから・・・)
店の方も
一瞬どう答えていいのかわからない表情をしました。

で、教えていただいたのが近くの「八風(はっぷう)」という店。
博多夕食-八風.gif

5時からの開店なのに
4時45分に着いてしまったので少し待って入れてもらいました。
博多夕食2店内.gif
博多夕食3.gif

とても美味しく、連れも満足。
私はビールと焼酎をいただいて気分最高!

こうして第一日が終わりました。

次回は、いよいよ目的地、有田・伊万里へ。
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夫婦円満の秘訣は、風呂掃除から

netの記事にJonson&Jonsonの調査で
「夫婦円満の秘訣」は
風呂掃除であるとの結果報告がありました。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111013/trd11101308090003-n1.htm

妻が選ぶ“夫がやってくれると嬉しい家事”の第1位は
「浴室掃除」だそうです。

※インターネットで男女各700人に行った調査(9月6,7 の両日)。
 それによると、「夫がやってくれるとうれしい家事」は「浴室の掃除」
が39・3%で最も多かった。「ゴミ出し」「食後の片付け」「食事を作る」
「トイレ掃除」の順。

風呂掃除、私もやっています。

でも「夫婦円満」を狙っているわけではなく、
私の方が連れよりは、
洗うのがうまく、かつきれいになるからであります。

なぜか?
それは育ちのヒミツにあります。

私は風呂屋(銭湯)の子供として育ちました。
4歳の頃から母と一緒に番台に上がっていましたし、
小学1,2年から、風呂掃除を手伝っていましたので、
要領がうまいのであります。

広い風呂場を洗うためには、大きなタワシを使います。

「亀の子束子(たわし)」って知っています?

亀の子束子包装.jpg

パーム・ヤシの実の繊維をほぐして作る日本のお掃除用品。
(株) 亀の子束子西尾商店というところが、作っていて
会社の歴史は古く、1907年(明治40年)の創業で、
アメリカ・カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ・東南アジアなどに輸出されています。
詳しくは、
http://www.kamenoko-tawashi.co.jp/index.html

父が亡くなり、
4歳の時から「風呂屋」の子供になった私。
子供のときから手伝いましたので、
写真から分かるように、子供の手には余る大きさです。

小学5,6年生の頃からは、二つを両手に持って使いました。

亀の子束子の実物.jpg

社会人になっても帰省すれば
当然、番台、釜焚き、そして風呂掃除を手伝います。

閉店した11時過ぎから、家族総出でやっていました。
洗い場はその日に、浴槽は翌朝洗います。

排水溝の目皿に
たくさんの汚れや髪の毛等が絡まっていますが
私は子供の頃から洗っていますので平気でした。

脂質の多い女湯の方がやはり洗う手間がかかります。

「磨き砂」と言っていた粉の洗剤を全体にまいてから
上の写真の大きなタワシで、シュッシュッとこすり洗います。
水加減も大事な要素ですし、
角張った隅をどう洗うかもポイント。

いつの頃だったか
母がだんだんしんどいということになって
電気仕掛け?のポリッシャーを使い始めました。

これはとても便利で風呂掃除が楽になりましたが、
昭和40,41年の頃でしたので、
製品もあまりよくなく、ときどき漏電(感電)するのです。

低周波治療器の
最強レベルみたいにビリビリって・・・。

風呂掃除が終わる11時半過ぎ、
みんなで夜食を食べました。
近所のそば屋とか家にあるものとかで・・・。
それが家族団らんのパターンでした。

さてさて。
要領よく風呂洗いできるのは
こうした「経験」の積み重ねと「技」があるからです。

夫婦円満に役立つものなら何でもやる私ですが、
この風呂掃除だけは、他人様には負けません。

我が家の風呂洗い一式は、おおむね5分半で完了いたします。

毎朝5時半の私の仕事であります。

でも、
「夫婦円満」の№1の秘訣は、「風呂掃除」ではありません。

お互いを認めあうこと、いたわり合うこと、
できることは双方自発的!に行うことであります。
私はほかの方に比べると、
家庭内の仕事が少しできるかも
(もちろん、会社仕事は並以上と自負しています)。

日々の暮らしの中での夫婦は、
建設会社で言うFifty FiftyのJV(Joint Venture 共同企業体)ですから。

俺が偉い、
私の方が偉い・・・・はなく、
いつか永遠に別れるときまでの道行きゆえ、
お互いできることをいたしましょう。

気を遣い過ぎる、と笑う輩もおりますが、
これが私の愛のカタチ?と思えば、納得できるものです。

風呂掃除の話から、ずいぶんテーマが大きくなりました。

アップ後読み直して訂正するかも知れませんね。
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空しい言葉

この1,2年、
「しっかりと・・・」とか、
「誠意とスピード感を持って・・」とかいう言葉が
やたら永田町から聞こえてまいります。

国会議事堂.jpg

テレビで
その方々のお顔とその声が聞こえてくるたびに、
私はむなしさを感じてなりません。

3.11以来、とみに感じます。

しっかりやるのは、当たり前でしょう?

適当にとか、気持ち半分で、とか言えるわけないのに
妙に強調されます。

「誠意を持って・・・・」、
いろんな契約書の中にも、この文言が入ります。

条文に書かれていないことで問題が起こったときには、
双方誠意を持って解決に当たる・・・・。

外国の契約書に関わる仕事のときに感じたのは、
あらゆる状況をすべて書き込んであり、
何もそこまで書かなくても・・・・、という事まで挙げています。

でも、最後には、「誠意を持って協議する」とあります。

「誠意」という言葉、
辞書ではこう言うふうに記述されています。

大辞林:嘘・偽りのない心。私利・私欲のない心
広辞苑:私欲を離れ、曲がったところのない心で物事に対する気持ち
大辞泉:私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心

読むたびに、空しくなります。

契約は甲と乙、対等ではありますが、
実態として、微妙に立場が異なり、同床異夢になる恐れもあります。
甲が強い?と、
先のことを思ん量り引き下がらざるを得ないこともあります。

その「誠意」、
結局は双方に都合の良い状況へ導くための慣用句か・・・。

「しっかりと」

漢字で書くと、「確り」、「聢り」で、
gooの辞書では
「 物事の基礎や構成が堅固で安定しているさま」、
「 気持ちを引き締めて確実にするさま」であります。

政治家がこの言葉を出すと思わずしらけてしまうのは、
政策に適当にとか、いい加減に、役人の施策の通りに・・・・は
ないはずなのに、と感じてしまうからでしょうか?

「スピード感を持って・・・」も同様です。

3.11は、それが前提で、
法律になければ、あとから整備すればいいし、
いま何が必要かを考え、目線を被災者に合わせれば、
身体が動く、そのことを行う。

被災者を絶望の淵から手をさしのべ、振るい立たせることこそ
施政者の役割、宿命でもありますのに、
わざわざ「スピード感」なんて言う言葉を口に出さなくてもいい・・・。

タイの水害やアラブの問題、TPPもしかり、
国の根幹を揺るがす問題に、
「松明」を掲げ国民を幸せの場所に誘導することこそ
政治家の仕事だと思うのですが、どうなんでしょう?

こう言う時代、
結局はひとりひとりが、
なんらかの考えを持って生きていかないと
いいようにやられてしまう気がしてなりません。

「しっかりと・・・」、
「「誠意を持って・・・・」とかいう言葉は、
永田町からはもう聞きたくない私です。
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駅員さん、ありがとう

この土日、連れととなりの妹夫婦、
向かいに住む義父母(87,86)の6人で
軽井沢一泊旅行に行ってまいりました。

行った先は、
妹夫婦が会員のすばらしい倶楽部の施設であります。
軽井沢はまだ紅葉が始まったばかりでした。

連れに撮ってもらう私はいつも緊張気味です。
軽井沢紅葉の始まり.gif

雲場池のほとりの喫茶店で(店が混んでいて下のテラスに席を作っていただきました)
軽井沢の秋.gif

ところで、
みんな若ければ、
いろいろなところに出かけられますが、今回は難しい・・・・。

義父は歩けず車椅子、
義母は杖をついての旅ゆえ、駅舎のなかでの移動が大変です。

まずエレベータがあるかどうか、
ホーム上での動きがスムーズに行くかどうかが問題です。

ときどき見かける風景ですが、
ホームと車両との間に板を敷き、
車椅子での乗り降りに人手がかかります。

最寄り駅から終着駅の軽井沢まで、
新幹線の切符にあわせて、どのように移動するか、
あらかじめ考え、各駅に伝えなければなりません・・・・。

「駅すぱあと」で駅間の乗り換え時間を考え、
それぞれに余裕を持ちながら、
第1候補と万が一のための第2候補を立てましたが、
連れがあらかじめ駅に相談したところ、
乗換駅での連絡は、乗車後、次の駅に連絡してくれるとのこと。

よく「ただいま、お客様をご案内中です」とか
「乗車終了!」とか構内放送をしていますが、あれがそうなんですね。

で、第一日目は、
予定時刻にちゃんと改札口に待っていて下さって
上のホームへと案内してくれます。

私が、自分の荷物のほかに義父母のバッグを持ち、
義弟が車椅子を押し、義妹が義母(実の母)の手を支え・・・・、と
まさに老老介護の具体例みたいな感じでの旅の始まりです。

次の乗り換え駅でも係の方が待っていました。
あまり混雑しない車両と最適なドア、
ホーム内での移動もできるだけ効率よく動いて下さいます。

迷惑そうに見る乗客も中にはいましたが、
たいていはじっと我々の動きを見ていて下さいます。

どの駅員さんもみなさんご親切で、
私たちは子供?は、頭が下がる思いでした。

私たちが乗り終えると、
事務所に連絡し、次の駅へ手配します。
その報告というか
連絡の言葉には無駄がなく、横で聞いていても気持ちがいい・・・。

2日目の帰り便でも、まったく同じようでした。

混雑する構内では、
先頭に立ち「お客様が通られます。ご注意下さい・・・」と声を出す。
みんさん避けて下さいますが、
ほら例の携帯・スマホ族さんたちの中には、
画面に気をとられぶつかってしまう人たちも・・・・。

一番申し訳なかったのは、
義父母とも急にお手洗いへ行きたい、と言い出したとき。
年寄りゆえ仕方がないのですが、
係の方が連絡し終わったようなところでのトイレ所望。

「すいません・・・」と申し上げたのですが、なかなかふたりが揃わない。

多機能トイレのありがたさも今回初めて体験しました。

旧国鉄時代を知る私には、
よくここまで施設の改善と従業員の教育が浸透していると感じました。

また反面、
高齢化社会が目の前に来ている今日、
公共施設でのエレベータやエスカレータの充実や
トイレなどの改善の必要性も感じてなりません。

私たちが義父母のような状況になったとき、
果たして娘や息子達が
こう言うように介添えしながら旅ができるのか、
いやもうこども達の世話にはなりたくないので、
家に閉じこもり、バーチャルな旅に満足するか・・・・・・。

足が不自由になったら、
やはり「もはやこれまで!」と覚悟を決めるしかありません。
幸い私には、
世界10数カ国、国内もいろいろまわった思い出がありますし・・・・。

この二日間、さすがに疲れました。
身体もありますが気の遣いすぎだからでしょうね。

JR東日本の駅員さん、
今回本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
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長くなった通勤で思うこと

昨年までは
店への通勤時間は、door to doorで30分でした。
電車に乗っている時間は、わずか16分です。

それがまた今年から会社員となり、
自宅から会社まで、なんと75分。
電車に乗っている時間も約1時間となり3倍です。

行きは、うまくいけば最初から座れますが、
ダメなときは、1台やり過ごし、並んで座ります。

ほとんどの乗客は、
たいてい同じところに腰を掛けています。
自分の「定位置」みたなのがあって、習慣なのでしょうね。
私もたいてい同じところをめざしますが、
時には先を越され、少し気分が落ち着きません。

■座り方十人十色

身長がそう高くない方が、
これでもかと足を広げて座っています。
付け根が痛くなるんじゃないかと(心配)。

ちょっとでも肩や肘が当たると、
すごくイヤな顔をして、横目でにらむ人。

そうかと思うと、
微妙なすき間が出来ているところに
すまなそうな顔をして遠慮がちに座る人。

私はムリかなと思うところへは
絶対腰掛けないのですが、
中にはやさしいかたもおられ、詰めて下さいます。
もう片方の方もそうしてくだされば、座れるのですが
微妙に難しいときは、遠慮します。
(動かない方は、その気配もありません)

肩に掛けたバッグを前のほうに抱え込まず、
どんなに混んでもそれを守ろうとする人もいます。

高齢者が前に立つと
急に文庫本を広げ、さも気がついていないフリをする人。

出口の立ち位置から、絶対に動かない人。
一歩ホームに降りれば、みんな降りられるのに・・・。

私は下車駅で降りる時、
意識的にカバンが邪魔なように、押しつける・・・。
(ちょっと意地悪ですね)

■電車が化粧室に

私の顔がまるまる見えてしまいような
大きな手鏡で、
入念に化粧をされる方を毎日見かけます。

全工程、その数11。
すいません、
何となく数えてしまいまして、
だんだんと重ね塗りしてき、
微妙な色の違いがわかるようになりました。

見てはいけないと思いながら
その一部始終を見ている私であります。
化粧作業が終わったあと、
その方は鏡でいろいろな方向から施工?後の出来具合を
しっかりとチェックなさいます。

そういうときに私の顔がチラリ鏡に写ります。

お叱りを受けるようですが、
あまり丹念になさらない方が、その方らしい感じがいたします。

お化粧のプロセスを
すべて公(おおやけ)の場でお見せになるのには、
歳のせいもあるでしょうが、抵抗感があるのが本音です。

素顔と化粧後の
その差がその方の魅力の一つになることもあります。
まさか電車で一緒の彼氏の前ではやらないのでしょうね・・・。

毎日見る風景ゆえ、
妙に親しみを持ってしまいながらも、
その方の生活背景など考え、退屈な時間を有意義?に過ごしています。

■携帯・スマホが電車を遅らせる理由のひとつ?

7人掛けの電車の椅子の
すべての乗客が手に携帯やスマホをお持ちで操作をしていました。

これはちょっと変な感じでした。
絶えずニュース(メール)を新しくせねばならないのでしょうね、きっと・・・。

ずっと画面を見入っていて、
下車駅で慌ててドア方向に向かって押しまくります。
何分の一秒かの積み重ねで、電車が遅れがちになります。

次が下車駅なら、
携帯・スマホのお片付けをしつつ、前の人に続いておりる。
これが当たり前だと思っていたのですが・・・・・。

■指輪の有無

乗っている電車には共働きが多いです。
夫婦そろって乗車され、会話が弾むカップル。
一言も語らず、別々の駅で別れる二人。

妻っぽい方が日経を読まれ、
夫とおぼしき方が、超!柔らかい週刊誌をお読みです。
どんなご夫婦なのかと一時的に興味を持ちますが、
そんなことはどうでもいいではないか、と一人反省しています。

帰りの電車。
レジ袋にそこそこ食品を買って帰られる乗客。
時計は、7時半。
これから帰って夕ご飯の支度でしょうか・・・・・・。
大変ですね、と思います。

我が家の連れも13,4年、そう言う状態でした。

帰ってすぐになんか疲れて作りたくないですよね。
それを理解していましたので、
連れが動くまでじっと待っておりまして、
それでお酒の量が増えた時もありました。

こういう人が
息子のお嫁さんでいてくれたら・・・、と思う方が
つり革を持ち替えたときに、指輪をされているがわかった・・・・。
ああ、残念!!


電車の中でi-podで英語を聴きながら、
いろいろな人を見るのがとてもいい刺激になっています。

あまり露骨に見ると、
変なおじさん?と思われるから、気をつけねば・・・・。


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修善寺温泉 「菊屋」に泊まる秋の旅 その2

サービスとお食事が良いと評判の「湯回廊 菊屋」であります。
年配のお姉さまのご案内で部屋に通され、
これでもかこれでもか、という大変ていねいな施設の説明。
(私ならもっと上手に説明できるんだけど・・・・)

座卓にこんな紙が・・・。
菊屋へようこそ.jpg
一手間かけるとお客様に近寄れる、という方法ですね。

菊屋は300年以上の歴史があるので、
全体には古い感じもしましたが、
5年前にリニューアルして、なかなかすばらしい雰囲気の宿です。
スタッフのお客様への声のかけ方・タイミングも実にいい・・・・。

さて今回、私は
3回以上、温泉につかるぞ!、という決意を持ってまいりました。
30年来の肩こりもひどく、
また、元銭湯の息子としては、風呂には拘りあるものの、
いつも烏の行水で、楽しむことをいたしません。

そこで、なるべく人のいない時間を見計らい、
翌朝9時に出発する前に、目標通り3回お風呂を楽しみました
(カメラが持ち込めないのでごめんなさい)。

5時45分からが夕食タイムであります。
簡単な個室風のテーブルでお食事でしたが
メニューはこれ。
菊屋夕食メニュー.jpg

ひとつひとつのご説明は割愛させていただき、お料理の数々をご覧下さい。これがすべてではありません。
菊屋夕食1.JPG菊屋夕食5.JPG
菊屋夕食3.JPG菊屋夕食6.JPG菊屋夕食5.JPG菊屋夕食7.JPG
菊屋夕食8.JPG菊屋夕食9.JPG菊屋夕食10.JPG

ビールを飲んだのが災いして、とうとう食べきれませんでした。
これ以上お腹に入らない・・・・・。
連れもまったく同じ事をもうしておりました。

さすが、前評判の高かった「菊屋」でありまして、
係の女性もすごく素敵で
(連れが目の前にいるものですからじっくりとは拝顔かなわず)、
その無駄のないサービスの動きは、あたかも踊りのようでありました。

夜は激しい風雨。
普段通りに飲まなかったものですから、眠れない夜となりました。

翌朝、5時に起きて、一人大浴場へ。
これは実にイイ気持ちでした。
これまでの65年を振り返る、ゆったりとした時間の流れです。

さて朝食がこれ。
菊屋朝食.jpg
見事に完食いたしました。
菊屋朝食完食.jpg

いろいろ書きたいのですが、
4,5回のシリーズになるのであきらめました。
ところで、
この旅を一言で総括せよと言われたら、
「食事、サービスとも大満足」であります。

こう言う本格的な昔ながらの旅館に
泊まることがないものですから、サービス(人をイイ気持ちにさせる)とは
こう言うことなのか、を実感しました。
これで13,500円(1人)ですから、連れとのふたり旅は大満足でありました。

たまには老夫婦?の旅もよいものですなぁ~。
いつもの緊張感がぐぐっと軽減されました・・・・。
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修善寺温泉 「菊屋」に泊まる秋の旅 その1

3月台北以来のふたり旅。
伊豆・修善寺の「菊屋」という旅館へ行ってまいりました。

http://www.hotespa.net/hotels/kikuya/

会社の同僚が
何度も行って、食事サービスがとてもすばらしい、
と勧めてくれた旅館です。
だから、今回は観光と言うよりは、
その「菊屋」へ泊まるというのが目的でした。

新幹線「三島駅」から乗り換え、伊豆急駿豆線「修善寺」へ。

とは言え、
電車やバスの便もそう多くはなく、
予定よりもかなり早く到着してしまいましたので、
「菊屋」に荷物を預け、バスで「虹の郷」なるテーマパークへ。

http://www.nijinosato.com/

何でも、イギリスとカナダをモチーフにしたものだそうで、
広さは、
東京ディズニーランドとほぼ同じ広さで花とミニSLが売りだそうです。

開園してから20年余というこの、「虹の郷」。
平日ということもあり、駐車場にも車が数台だけ。

さみしい~、というのが第一印象でした。
こう言うのを見ますと、
昨年まで私が勤めていた店を思い出してしまいます。
お客様の数よりもスタッフの方が多かった・・・・
今となっては思い出のひとつですが、
当時は胃がキリキリと痛み、辛い毎日でしたねぇ。

1時間半で宿へ戻ってまいりましたが、
幾枚かの写真でご紹介します。

連れと往復乗ったのは、
公共の鉄道として最小規格の鉄道「ロムニー鉄道」。

線路の幅が
15インチ(約38センチ)で、これ以下は模型という区分だそうです。
ホームページでは、
英国の「ロムニー・ハイス・アンド・ディムチャーチ鉄道」と
「レイブングラス・アンド・エスクデール鉄道」の二つとか。

鉄道ファンなら垂涎のカットでありましょう・・・。

虹の郷機関車3.jpg
出発の駅舎。

虹の郷機関車1.jpg
機関車。
諸元は、カンブリア号 長さ 7.4m 高さ 1.7m
幅 1.2m 重量 約 9t 製造 1992年

虹の郷機関車2.jpg
車窓から。

園内に鉄道のミニ・ミュージアムがありました。
虹の郷機関車展示1.jpg
虹の郷機関車展示3.jpg
虹の郷機関車展示2.jpg

土日になると賑わいがあるとのことでしたが、
あまり人を見かけない園内は、それだけで気になる雰囲気でした。

蒸気機関車に乗ったのは
5年前シドニー郊外で連れと乗って以来でして、
ふたりで結構楽しめました。

30分に一本という修善寺行きのバスを待ち、
ようやく予定の3時のチェックイン時刻になりました。

旅館「菊屋」については、「その2」をどうぞ。
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Mendipsの家

今日は、
私にとって身近だったあの人の
71回目のお誕生日です。

1940年10月9日、
英国中西部の港町、リバプールにその人は生まれました。
私より6歳年上です。

「ジョン・ウィストン・レノン」これが正式な名前。
ミドルネームの「ウィストン」は、
当時、英国の首相「ウィンストン・チャーチルの
名前からとられたものです。

店の仕事が、このジョンに深く関わっていたので、
その街と生家を2度訪問しました。

ジョンについては、
たくさんの専門家がおられますし、
熱烈なファンも多いので、
彼の音楽の知識については、私は素人レベルです。

でも、
クォーリーメン時代から
、大ブレークして有名になったジョンよりも
子供の頃のジョンが大好きでし、
その頃の彼の心情はよく理解できているつもりです。

リバプールの中心部のバスセンターから
路線バスで40分くらいにるウールトンという地区の
「Mendips」と名付けられたところに、彼が育った自宅はあります。
とても静かで落ち着いたところです。

育った家は、ヨーコ氏より寄贈された
The National Trustが管理していています。

以前、仕事のために
家の中を撮影したほんの一部をお見せします。
2007年の秋でした。

4,5歳の頃から22,3歳の頃までを
ここで過ごしたかと思いますと、
家の中のすべてのものが愛おしく思います。

階段踊り場から階下を見下ろします。
階段.JPG

ジョージおじさんと一緒に入った お風呂。
バスタブ.JPG

2階のミミおばさんの部屋。
ミミおばさんの部屋.JPG

ジョンの部屋のベッドの上に置かれていた
小学校時代の帽子(モスビック小学校の制帽)。
小学校の帽子.JPG

1階のダイニングルーム。
現在は、小さな展示スペースになっています。
ダイニングルーム.JPG

玄関内側の出窓のステンドグラス。
階段踊り場のステンドグラス.JPG

キッチン。
台所2.JPG
台所1.JPG

ここを管理している
The National Trustのマネージャー氏とは
閉店したいまでもお付き合いをしています。
来年、再びリバプールで再会することを計画しています。

ジョンのおかげで出会いが英国まで広がりました。

71回目のお誕生日、おめでとう~!
世界中のファンがお祝いしているね、きっと。


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散歩の途中で

外では饒舌な私も、家に帰ると寡黙の人。

周りの人は信じられないと言うけれど、
何かきっかけがないと、しゃべるネタを意識している私であります。

テレビを見ているときは気楽です。
画面が勝手に変わってくれるし、音声も出る・・・・。

休みの日、
連れとときどき散歩する時が、結構緊張いたします。
もちろん日によって情況はコロコロ変わりますが・・・・。

孫の話題や、
身内のイベントなら自然に話が弾みますが、
さてさて、適当な話題?、ネタ?がないときは、
そこかしこに目を配り、耳を澄ませて・・・・。

と言うわけで、
先日のお散歩は,しばし孫の話のあと、会話が途切れました。
そこで見つけたのが「路傍の花」。

散歩途中で見かけた花.jpg

残念ながら、連れも名前が分かりません。

1枚写真を撮って、また歩き始めます。

これがきっかけで、
天気の話、向かいの義父母のこの先、
孤高?の息子のことなど途切れることなく話題が・・・・。

来年の春は、結婚40周年。

フツーの家庭ながら、
それでもいろいろなことがありました・・・・。

まぁ、ここまで大過なく過ごせたことに心から感謝であります。

花が話を弾ませました、というご報告。

何だかまとまらない展開となりました。




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去年の今ごろ・・・手帳の見比べ

前回、閉店1周年のことを書きましたが、
何気なく当時の手帳を開き、
いまと同じ時期を見比べてみました。

ふだんは、几帳面な文字が私が読めないくらいの殴り書き。
欄外には、閉店までのカウントダウンの数字。
ちょっと精神的にも異常?だったのかも。

昨年9月20日から26日まで。

2010年手帳0920-26.jpg

閉店まで半月になりますと、
特別なお客様も多くなってまいります。
お世話になった地元の方々、
親会社、大家さん、熱烈なファン(店長と写真を撮りたいなどなど)・・・・。

この9月は定休日をなくしましたので、
店長だけが休みなしで働きずくめでありました。
最長、34日休みなしですが、自営の方は当たり前ゆえ
胸を張るものではありません。

23日(木)祝日は、
夕方から、開店以来のスタッフ、関係者を招いての「閉店お別れ会」。

独身だったスタッフが結婚し、2児のお母さん
(10年という歳月をカタチにしてくれます)。

みんなで店内での雰囲気の名残を惜しみました。

下は、
今年の9月19日から25日までのスケジュール。
空欄が目立ちます。

2011年手帳26-0919-0925.jpg

21日は
大型台風で、2時頃から会社は早退となりました。
去年なら、何があっても店に居残っていたでしょうに・・・・。

これはいよいよフィナーレの1週間。
昨年の9月27日から10月3日までの分です。

2010年手帳0927-1003.jpg

入れ替わり立ち替わりのマスコミの取材。
同じ内容ではありますが、媒体ごとにできるだけていねいに対応しました。
中には、閉店事件?のスクープを獲った記者の姿も・・・・。

親会社で長く広報で育てられたことが、
この閉店直近のマスコミ対応でも大いに役立ちました。

最終日、30日。
開店前に、スタッフ全員をロビーに集め、
10年間のお礼と、最後の日みなで力を合わせて締めよう、とお願いしました。

自分自身のこだわりで、
最後の日も、
いつものように閉店作業を行うことを念じていました。
実際、その通りに行えたのですが、
10日前から、声が出にくくなり、
まさに最後の力を振り絞っての1日でした。

あとから聞いた話では、
店長はスゴイ形相だった・・・・、とのこと。
自分の顔は見えませんから、気がつきませんでした。

閉店翌日には、
跡形もなく消えているようにする計画を立てました。
お客様がお帰りになった直後から、
外側から見える店名などのサインは全部外し、
形跡を残さないようにしようと作業しました。

夜9時半、撤去工事は予定通り成功しました。
これは、半年前からの私の意地でもあったのです。

打って変わって、私の今年。
今年の9月26日から10月2日まで

2011年手帳26-0926-1002.jpg

何もありません・・・・・。
この空欄(空白)が、
確かに1年前に「閉店」したことを示しています。

完全リタイヤは夢と消え、私はまだ働いています。

そのうち、
仕事を離れたら空欄はもっと増えるでしょう。

それが、フツーの老後なのかも知れません。
ちょっと恐いなぁ~。
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今日で、閉店1周年です。

何だか、ずっと前のことのように思えます。

店を閉じたのは、1年前の今日でした。
早いものです。

開店時から、
契約先とは、10年間の営業と決められていました。
だから、10年経ったあの日、2010年9月30日がやって来たのです。

去年の今日は、朝から雨。
店内のすべての傘立てを
4階ロビーに並べてお客様をお迎えしました。

店内は、次第に静かな興奮状態?の様相です。
身動きできないほどの店内の時もありました。

あるお客様からは、閉店を厳しくお叱りを受けましたし、
私の手を握って、ありがとうと涙声でおっしゃる方もおりました。

だんだんと時間が経過し、
いつもの閉店時間がやってきました。

お客様は、なかなかお帰りになろうとはなさりません。

閉店時間を過ぎましたので、
たくさんのお客様を前にしてご挨拶しました
(淡々と閉める、というのが考えでしたが)。
閉店挨拶1.jpg

閉店時間を30分以上過ぎてもお客様はお帰りになりません。
名残惜しいお気持ちが分かるだけにとても辛かった・・・・。

階下のロビーはまだ人、ひと、ヒト・・・。
涙を流すまいと必死でした。
カメラも私を捉えていましたし・・・・・。

閉店挨拶2.jpg

一生懸命お願いをして、
お客様にお帰りいただいたのは、閉店後1時間20分後でした。

私は2代目の店長。
初代店長はお店の企画から運営、営業でご苦労されました。
2003年6月15日付でやってきた私は、建設会社の勤務が35年。
いやはや専門外もいいところで、戸惑うばかりでした。

実は、その時からカウントダウンは始まっておりました。

「あと7年半か・・・・。」
実際に店で仕事をし始めますと、そう感じました。

でも、すぐに毎日が
いらっしゃるお客様、数多くのスタッフ、契約先、地元、
そして要の親会社との間に立たされまして、
東奔西走で突っ走った7年半でした。

いまはみんな過去形です・・・・。

この仕事でいい勉強をさせていただいたのは、
厳しい著作権ビジネスの世界です。

あれも、これもダメなのか・・・・。
最初は本当に知識がないゆえのボヤキでしたが、
振り返りますと、常識と思えるようになりました。

著名なお名前を冠したお店ですので、
振り返れば、よく理解できますが、
ほとんど(あらゆるもの)が、契約で規制されており、
それが最後まで周りの関係者に理解されず、
ずいぶん波風が立ちました、

日本人と西洋人、
いや、
許しあう日本人社会と契約社会の大きな違いに
戸惑うことばかりの7年半でした。

♫いまは もう秋~♪

早いものです。

いつか
お店のことを自由に書きたいと
願っております(当然、法律にゆるされる範囲の中ですが)。

お越しいただいたお客様、
本当にありがとうございました。

みなさまの「心に残るお店」になったでしょうか・・・・。


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予行演習が好き?

まだリハーサルとか
シミュレーションtかという言葉がなかった時代に育ったものですから、
ついつい「予行演習」などという古い言葉を口に出してしまいます。


日本語の意味としては、
「催事などの前に、実際どおりに練習すること。」とweb辞書にあり、
英語では、 rehearsal、 a preliminary drill となっています。

いとこが陸将を務めておりましたので、
「演習」という言葉では、
自衛隊の「富士総合火力演習」を思い出します。
これは、陸上自衛隊の演習のひとつで、
静岡県御殿場市・東富士演習場で実施されています。
戦車がよく画面出でてくるので即反応します。

さて、この「予行演習」は私の人生そのものでもあります。

古くは、高校時代に体操部にいましたので、
インターハイや国体の
試合での実際のシーンをイメージする時によく行っていました。

7分という制限時間の中で
体全体の動きを頭の中でイメージする・・・・・。
同じ時間をかけてやらなければ、本当の予行演習にはなりません。

大事なときにこそ
頭の中で、あるいは心の中で「本番」通りに身体を動かしてみる・・・・。

バーチャルでもリアルでも
とにかく体験したという安心、自信を持っていたい。
それが若いときからのクセのようなものです。

会社で連れと出会った私ですが、
何回かのデートの時に、
次回はイタリアンで、とかいうことになってしまいました。

イタリアンなんて、
「ミートスパゲティ」しか知らない田舎者の私には、
大変なことでありましたが、
連れは、四ッ谷の何とかというレストランがあるというので
パソコンなんてない時代ですから、電話帳で探し、
地図を片手に下見にまいりました(私、下見が大好きです)。

なにせ40年以上前のことゆえ記憶が定かでないのですが、
トイレの場所まで確認した記憶があります。

入社試験の時には、
住んでいた東京・葛飾区金町から
試験会場だった三鷹の会社の体育館まで2度行きました。

まず、試験会場までとにかく行って見たあと、
2回目は到着する時間を考え、
試験の時間に合わせて、同時刻に下見に行った記憶もあります。

いまのように携帯でチェックとか
パソコンの「駅すぱあと」(このソフトもう15年使っています)で、
「金町」から「三鷹」まで入力し、
瞬時に乗るべき電車が分かることなんてできない時代です。

会社で30年くらい人材開発の研修講師をやりました。
昨年秋に閉じた店長時代も引き受けました。

こう言う場合は、
配付資料を作ってから、キーワードを書き出し、
それを見ながら頭の中で「予行演習」。

毎回状況を見てしゃべるセリフは
少しずつ違いますが、ほぼ同じ内容を話せるようになりました。

幾度か経験すると、
目をつぶり、時間を早廻ししながら
頭の中で進行をイメージ出来るようにできるものです。

ゆえに、人前で上がったことがありません。
と、言うのはうそですが、
コントロールできるようになりました。

初対面の偉い方(知事、大会社の社長、芸能人・・・・)でも
間合いを取りながら、
2分なら2分で、30分ならその時間で、
無言の気まずさを感じさせず話ができます。

有名なオノ・ヨーコさんに
何度もお目にかかった時も舞い上がらず、
話をしている自分をイメージして
伝えたいことをほぼ100%話ができました。

英国大使ご夫妻を始め
皇族や知事、市長をお迎えしたときも
冷静な自分(燃えない?)に驚きました。
英国大使夫妻ほか.jpg

予行演習という言葉はもう死語のようなものですが、
自分を中心において後先の姿をイメージするようにできると
(少しつま先立ちして自分を見下ろす感じ)、
以外にドキドキしないものです。

いまはグーグルアースとかマップがあり
知らない街でもそこにいるような感じを体験できます。

実際、リバプールへ行った時も
自宅で何回か街中をトレース(なぞって)していきましたので
方向感覚、距離感などのあらましが分かり、助かりました。

人生の予行演習(誕生から死まで)はなかなかできませんが、
残った時間をいろいろイメージしていくのも楽しいかも知れません。

過去へのリセットボタンがついていないのが残念ですが・・・・。





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台風で早退させていただきました

まだ暴風雨が真っ盛り。
雨戸がガタガタ大きな音を鳴らし、雨が窓を叩き付けます。

引っ越してきて20年以上になりますが、
本格的な?台風直撃はこれが初めてだと思います。

午後2時前に会社の館内放送があって、
「業務に支障のない者は、上司に断り早退しても可」とのこと。

後輩に
「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と尋ねましたら、
公共交通機関がたぶんストップして
帰宅できない社員が大勢でるからじゃないかと言いました。

やはり3.11の経験を活かしているのでしょう。

部屋の中でグズグズしていましたら、
上司に言っておきますから、どうぞ早退してください、と促され
仕事を片付け、2時半に会社をあとにしました。

結果はオーライでありまして、
帰宅してテレビを見ましたら、だんだんと交通機関がストップしていきます。
帰宅時は、
まだそんなにひどくはなく、ちょっと後ろめたい気分もありました。
それでも、傘はさせず、
頭から足下までシャワーを浴びたような感じになりました。

6時半現在で、
首都圏の電車はほとんど動いていません。

自分の判断ではなく、
後輩からのひとことで何とか無事に戻れました。

息子の会社も3時過ぎに帰宅を促したらしく、
30分前に戻り、何とか家族全員無事で在宅しています。

どこの会社でもそうですが
総務部門のここらへんの判断が難しゅうございますね。

昨年までは個人客商売でしたので、
雨が降ろうが槍が降ろうが、開店しておりました。

どんなひどい天候であろうが、
ご来店してくださったお客様には、いまでも感謝しています。

これから台風は被災地に向かいます。
どうかこれ以上の辛さを被災者に与えませぬように・・・・・。
心から祈っております。


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どうも最近・・・・

どうも最近集中力が衰えたようです。
さぁ、やるぞ!、と決意したものの、
途中で雑用が入って中断されると、復帰するのに時間がかかる・・・・。

雑記帳風に、この小一ヶ月の出来事を・・・・・。

●NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介された
北海道余市の中野ファームの
超高級・トマトジュースをインターネットで取り寄せました。

http://www.nakano-farm.com/トマトジュース/

「贈答用 トマトジュース 1ℓ 2本セット」が注文名です。

完熟トマト100%糖度9℃以上 無塩
ちょうど値下げキャンペーン期間中で通常価格7,900円が
6,900円でした。1本、3,450円であります。

さて、そのお味は?

・・・・・・・・・・・・・・・(しばし無言が続きます)。

グルメなら、本品をちゃんと評価されるのでしょうが、
私は、子供の頃からそうトマトが好きでなく、いわんやジュースおや、です。

じゃなんで頼んだの?は、勢いというか衝動的にでありまして、
1本は家族で無理矢理飲み干したのですが、
まだ下の写真の1本が残っております。

1本1リットルゆえ、栓を開けたら飲まねばならず
こうしてそのままの状態で置いてあります。

これまでのトマトジュースとは
まったく違う味であることは確かで、
1回はお試しいただくのもよろしいかと存じます。
(小瓶は売り切れていて、やむなく1ℓ 2本セットを注文)
中野ファームのトマトジュー.jpg
中野ファームトマトジュー.jpg

●孫がやってきました

入院騒ぎと娘のつわりのリハビリで
連休前から、またまた娘と孫がやってきました。

会えるのは楽しいし幸せなのですが、
私も連れも、臨戦態勢を整えてのお迎えになります。

2歳半もなりますと、
成長の具合が行動と言葉、表情の変化によく現れます。
これが実に興味深い・・・・。

連れから氷をもらっての卓上水遊び。
達也氷と遊ぶ.jpg
達也氷と遊ぶ2.jpg

その仕草と表情は、長いこと見ていても飽きません。
1年前は、
ようやく歩き始めたころですから、人間の成長には驚きます。

最近、孫がやってくると
お絵かきをさせるようにしています。
水で落とせる16色のクレヨンと大きな画用紙を用意して、
話しかけながら、書かせるのですが、
来るたびに描写力??がゆたかになってまいります。

色の名前と線の太さ・細さ、
まる、さんかく、しかくのカタチや身近にあるもののを
話しかけながら見本を書き、孫にもさせます。

うまいか下手かは分かりませんが、
色の違いというものに、少しでも興味が持てたならいいな、と
性懲りもなく指導?しています。

私も小さい頃からお絵かきが好きで、
また母も絵画教室へ私を通わせたものですから
65歳のいまになってもサッサ~と描いてしまいます。

固有の資質はありますが、
刺激だけは孫に与えたいと思っていますが
果たしてその成果は・・・・・(その前に私は逝ってしまうでしょうから)。

●規則正しい生活が続き、2kg増!

昨年の今ごろは、
9月末の閉店騒ぎで、1ヶ月ほど休みなしで働いていました。
ストレスも多く、食事も不規則・・・・。

それが、1月からサラリーマン生活に戻り、
8:45~17:30までの勤務。
お昼も大きな社食で、ちゃんと食べる。
終業後は、一目散に帰宅して晩酌。

この規則正しい生活のため、
なんと2kgも太り、お腹が出てきてズボンがきつい・・・・・。

去年までは通勤時間が短いわりには、
店内を1日何度も歩き回り、外へ出ることも多かった。
それが通勤は倍になりましても、
動くことがなくなり、1日わずか2,500歩強。
昨年は、11.000歩が当たり前でしたのに・・・・・。

減量は、緊急課題であります。
動くか飲食を減らすか・・・・・・・、2択であります。

口数だけは昨年同様多いのですが、
これは消費エネルギーが思ったほど高くない。

で、しゃべらなければストレスが残りお酒に走る・・・・。

この秋は、思案の季節となりましょう。



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一枚の写真

この写真は、
53年前のある工事現場の写真です(昭和33年4月と書かれていました)。
何かの現場の節目行事に、
そこで働く人たち、みんなで撮ったものでしょう。
大工事現場での記念写真.jpg

建設の世界で育ったものですから、
こういう写真を見るとググ~っときます。
まさに「プロジェクトX」の世界です。
みんなで造っているという迫力があります。

最近は、
この種の写真もなかなか撮らないようです。
気持ち的な余裕が薄らいでいるからでしょうか・・・。

右側の割烹着の女性たちは、
現場の炊事を担当するおねえさん達。
いまは、
山奥のダムの現場とか超巨大な作業現場でないと、
現場には専用の食堂はないようです。
昔(写真のような大現場でなくとも)は、
一人とか二人は必ずいましたね。

あそこの現場は、
カレーがうまいとか、味噌汁はちゃんと出しを取るとか・・・。
結構そういう評判が社内で聞こえていました。

20年前にインドネシアの山奥の
某大ダムの現場に2度ほど取材に行きましたが、
6,70人の職員用に大きな食堂・炊事場がありました。

チーフは日本人でしたが、お手伝いはぜんぶ現地の方。
魚の煮付けや肉じゃがとか、中華とか
日替わりメニューはバラエティに富んでいましたね。

仕事の途中のお昼ご飯とか、
その日の作業が終わると、食堂で出される食事が楽しみです。
町の中の工事ならば、妻帯者は家に帰りますが
独身は、事務所の隣の宿舎に寝泊まりしていますから、
ほとんど毎日、現場でご飯です。

私が35年ほど前にいた
山奥の隧道(トンネル)の現場に、
魚がまるでダメな先輩職員がいました。
焼き魚、煮魚は当たり前で、お味噌汁の出しも苦手(煮干しゆえ)。
そのため、
別の献立(肉とか)を賄いのおばちゃんにお願いしていました。

奥さんならお上手に対応出来るでしょうが、
人数の多い現場の食堂はでは、
本人も、賄い婦さんたちも大変だったと記憶しています。

いまの会社は社食。

7つくらいメニューがあって、値段は400円から550円くらいまで。
いつも迷いながら食事していますが、
去年までの小さな会社では、
給食センターから400円のお弁当をお願いしていました。

建設会社に出入りしている会社だったので
ご飯だけは超大盛り。
いつももったいないけど1/3は残してしまいました。

何だかこの1枚の写真で別のことを言うはずでしたが、
割烹着の印象が強くて、現場の食事の話になってしまいました。

時代の差とは言え、
この頃のお昼ご飯には、いろいろな言葉が行き交っていたでしょうね。

いまは黙々と
携帯を片手に食事する風景が当たり前となりました。

実は、私の長兄がこの写真に写っています。
まだ20歳くらいですかね。

74歳になったその兄も、田舎で元気に暮らしています。










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さようなら、を言うために・・・・

前の会社を清算し、また元の会社へ戻ってきた私。
勤め始めて9ヶ月になります。

仕事自体は、
社内をあげての大仕事の中で調整役に過ぎませんが、
最近、こんなふうに考えるようになりました。

入社してから、42年間、
社内を走り回り、社外のいろいろな分野の人たち出会いました。
その人達に、「さようなら」って言うためじゃないか・・・・。

その人達の大部分が会社には残ってりません。
私より年上の人は(役員ですら)いないのです。

働き始めて半年以上経ちますと、
結構これが効いてきます。

65歳ひとりぼっち・・・・。

何をメソメソ、
会社に縛られて、とおっしゃるでしょうが、
人生の半分以上を「会社」で過ごしていますと、
リタイヤしたとき、
これからが本当の自分の人生なんだ!、と
胸を張って新しき人生をアピールだ、なんてできないんですね。

圧倒的に
他人(ひと)と知りあった数は、会社生活の方が多い。

ですから、
この仕事が終わる予定の2年間というものは、
OBとなった先輩や一緒に仕事をした後輩たちに、
本当に「さようなら」を言える、いいチャンスなのかも。

会社生活最後の締めくくりに、
またまた元の会社で同じような仕事をする幸せを感じます。

これは、昭和47年のときの職場での写真。
右から3番目に3年生の私がいます。
この年の春結婚しました。
約40年前の私.jpg

同じ頃の職場旅行。
いまはこう言うイベントもなくなってしまいましたが、
若いからこそできたいろいろな体験もあります。
左端が25歳の私。
広報部-S47-南総パラダイス.jpg

社史編纂が私の仕事ですが、
あたかも青春時代をプレイバックするような毎日です。

社内に出会う人たちに、
これから2年間かけて「さようなら」を心の中で言おう・・・・。


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孫の入院で てんやわんや

連れが深刻そうな顔をして電話口に立っています。
私が先日、月に一度の
血糖値の検査のためクリニックへ行く直前でした。

「どうしたの?」

話の途中で、受話器を押さえて
「たっくん(孫の名)が、昨日の晩に入院したんだって・・・」

これで2度目。

前は1歳になる前でした。
夜中に高熱を出して救急車で大学病院へ運ばれた・・・・。

今回は、高熱プラス下痢の症状。
ダンナが車で連れて行ったとのこと。

決まって金曜日の夜。
宿直医は小児科担当とは限りません。
心配ですがやむを得ない、と娘もダンナも考え、
前回と同じ個室(402号室)に入院となったそうです。

2歳の子供への点滴は、大変そうです。
ずっと泣いていて、娘はほとんど一睡もできなかったようです。

午前中に診てもらい、
点滴と水分補給のみ(ビオフェルミンも)。

結局は、症状を見ながら
見舞いに行った日は日曜日ですし、月曜まで様子を見ることになったとか。

で、私がクリニックから戻ってきてから30分後には
連れとふたりでその病院に向かいました。

娘は身重ですし、まだつわりのさなか。
こう言うとき母親(連れ)は、即応するのですね。
娘の食べられるものを冷蔵庫から取りだし、
孫のおもちゃを手にして急いで電車に乗りました。

何かのウィルスが孫に移っての高熱発症と下痢だそうですが、
他の人から隔離はないそうでまずホッと・・・・。

点滴のチューブが右手につながれ、ぐるぐる巻き。
痛々しそうです(私も経験がありますが、かなり苦痛です)。

私たちが行ったときは眠っておりましたが、
1時間後に目を覚まし、私たちがいるのに気がついて
最初の言葉。
「ジジ・・・・、ババ・・・・」

いつもの笑顔はありません。
でも、何とかうれしい気持ちを表現しようという表情です。

ベッドの上に座り、
また、「ジジ・・・・、ババ・・・・」と。
何だか、涙ぐんでしまいました。

熱は少し下がったようです。
点滴じゃお腹に力が入りません。まして下痢ですから・・・。

それでも、
入院後初めて娘(母親)に抱かれて、
しばらくすると、
連れが持っていったおもちゃで遊びはじめました。

元気ならば、大きな声を上げ、私に飛びついてくるのに、
背中を娘に預けて、無言で遊んでいます。
当然のことながら病人ですものね。

昨日、診察が終わり、今日退院との連絡がありました。

連れの言うには、
昨日は初めてご飯が出て、
日頃は食べないロールパンをムシャムシャ食べたとか・・・・。
点滴ばかりで3日間は、堪えますよね。

20数年前の私の手術入院(胆のう摘出)でも
3日間食べないと意識朦朧となりましたもの・・・・。
(おかげで3kgもやせた)

小さい子供の入院は
本人もさることながら、親も爺ババも大変です。

退院の報を聞いてホッとしました。

下の写真は、
夏休みに我が家にやってきてババが干した洗濯物。
小さくて、かわいいですね。

孫の洗濯物.jpg











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秋の気配で、一句??

窓から雲を見上げて 一句。

「秋雲や たそがれ清兵衛 寄り添って」

俳句の体をなしていないのですが、
夏の嵐の雲の上に、秋雲がチラリと見えたとき
ふっと浮かんだのが この句?
初秋の雲1.jpg

初秋の雲2.jpg

不安定な天気が続き、
晴れと雨の合間に、こんな空を切り取ってみました。

夏の雲と秋の雲が一瞬見えました。

紀州の方は大雨で、大変な被害です。

まことに自然というものは、
私たち人間に力のないことを教えます。
地震、津波、豪雨・・・・・。

原発だけは違います。
防災に対する自然への傲慢さ、知恵の無さ。

ますます落ち込みそうですが、
なぜか、
小説・映画で見聞きした「たそがれ清兵衛」を思い出してしまいます。

さみしくなると
何だかすぐそばに清兵衛さんがいるような気がして・・・・。

一生懸命取り組んで
あとは己の運命に素直にしたがって生きて行く・・・・。

私もそれをめざしているのですが、
なかなかどうして、意のままにはなりません。

せめて雲を眺めて、この一句、ですかねぇ・・・。


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